気仙沼市災害ボランティアセンターの運営支援
JVC会報誌掲載記事「生き残った私たち」より
JVCの会報誌『Trial&Error』の2011年9-10月号で、この気仙沼市での活動を特集として組みました。その記事をお読みいただけます。
- 特集 生き残った私たち
- JVC「らしさ」を生かせる国内支援とは?(事務局長 清水 俊弘)
- 生き続けるという試練をともに(緊急支援担当 下田 寛典)
- 小さくても、人は支えになれる(緊急支援担当/昨年度東京事務所インターン 長畑 凪)
7/13:地元の人々と共に復興を考える
気仙沼には、「気楽会(きらくかい)」と呼ばれる集まりがあります。「気楽会」は、「気仙沼を楽しむ会」「気仙沼を楽しくする会」の略で、気仙沼在住の昭和50年代生まれの若者が中心となって作られたサークルです。この会は平成18年10月に発足し、これまで20回程の定例会を行ってきました。定例会では、気仙沼を楽しみ、楽しくするためのアイデアが出され、話し合われます。そこで出されたアイデアを具現化していくのが、「気楽会」の活動です。今では気仙沼の名物となっている「気仙沼ホルモン」(豚のモツを千切りキャベツとウスターソースで食べる)も、「気楽会」がPRして有名になりました。
「気楽会」の定例会には地元の商店主をはじめ、新聞記者や介護に携わる人など、様々な職種を持った方々が集まります。JVCもこれまで3回、この定例会に出席し、地元の方々との情報共有や意見交換を重ねてきました。
震災以降、「気楽会」は気仙沼の復興について語る場となりました。震災後初めて開かれた定例会では、それぞれの震災の体験について話し合われました。また、気仙沼を訪れるボランティアと地元の人々との交流というテーマについても意見交換が行われました。「ボランティア向けのお店情報を発信してみては」など、様々なアイデアが出されました。
6月30日、7月7日に続けて行われた定例会では、「まつり」というテーマで話し合いが持たれました。「まつり」は街に活気を与え、地元商店や企業のビジネスチャンスにもつながります。気仙沼で例年行われる「みなとまつり」が震災の影響で中止されたこともあり、その代替となる「まつり」の開催についての議論が交わされました。
「気楽会」に参加していると、地元の生の声に数多く触れることができます。そこには、気仙沼の復興のために様々なアイデアを出し合い、考える人々の姿があります。JVCは、「気楽会」に集まる地元の方々との交流を深めながら、気仙沼の復興について考えていきたいと思っています。
6/29:お茶会を通じた新たなコミュニティー作り
気仙沼市災害ボランティアセンターでは、被災者支援として、仮設住宅入居者に対する交流の場の提供を目的に、各仮設住宅において「お茶会」を行っています。JVCは、災害ボランティアセンターの運営支援の一環として、その企画・実施に関わっています。今回は、そのお茶会の様子を簡単にご紹介します。
仮設住宅のほとんどには、集会所が設けられており、お茶会もこの集会所で行います。仮設住宅入居者には、チラシのポスティングなどを通じて、お茶会実施の周知をします。この日は、ある中学校の校庭に設けられた仮設住宅にて、午前10時よりお茶会を行いました。まず簡単なアイスブレーキングを行い、参加者の緊張を解きほぐします。
その後、お茶やお菓子を手に取りながら、様々な話をします。震災当日の体験や、現在の仮設住宅での暮らし、今後の生活への不安など、話の内容は多岐にわたります。お茶会を通して、震災以来の再会を果たす人達や、初めて会った者同士、互いに自己紹介をし合う参加者達の姿も見られます。
約二時間で、お茶会は終了。会の最後には、参加者に対して、支援物資として届けられた日用品などが提供されます。この日の参加者は約30名、皆満足した様子で帰って行きました。
仮設住宅には、様々な地域から入居者が集められることになります。そのため、それまで保たれてきた人と人とのつながりが失われ、互いに顔の見えない関係の中で、生活をしなければならい状況が生まれます。阪神大震災で大きく取り上げられることとなった孤独死の問題も、この様な仮設住宅の状況が原因の一つにあると考えられてきました。こうした問題の発生を防ぐためには、仮設住宅において、新たなコミュニティーを作り出し、いかに顔の見える関係を作り出すかが、大きな課題となります。この課題に対処するために、仮設住宅入居者の間に交流の場を提供することも、被災者支援の重要な活動の一つです。
-------------------------------------------------------------------------JVCはこれまで、下田寛典、金瑛美、長畑凪の3人態勢で、気仙沼市災害ボランティアセンターの運営支援を行ってきました。6月24日には下田が、6月26日には、金、長畑が、それぞれ災害ボランティアセンターでの活動を終えました。災害ボランティアセンターの立ち上げから組織編成、日々の細かな仕事まで、様々な形で3人は大きな役割を果たしました。
今後、当面の間は、震災支援担当の岩田が気仙沼での活動を続けていきます。
6/20:鹿折地区の人々との蔵王温泉旅行
JVCは、震災以降、被災地支援として、気仙沼市災害ボランティアセンターの運営支援を行ってきましたが、その活動と並行して、鹿折地区、特に梶ヶ浦、鶴ヶ浦の人々との交流を重ねてきました。
気仙沼市は、大きく分けて、唐桑(からくわ)地区、本吉(もとよし)地区、階上(はしかみ)地区などの地区に分けられ、鹿折(ししおり)地区もその一つに数えられます。さらに、鹿折地区は、浪板(なみいた)・大浦(おおうら)・小々汐(こごしお)・梶ヶ浦(かじがうら)・鶴ヶ浦(つるがうら)の各集落に分けられます。今回の震災において、鹿折地区は津波のみならず、火災によって、壊滅的な被害を受けました。火の海と化した情景を捉えた航空映像をご記憶の方も多いと思います。
去る6月11日・12日、JVCは、これまでの鹿折地区の人々との交流をさらに深め、また震災以降、蓄積されてきた心と体の疲れを癒してもらうことを目的として、山形県の蔵王への一泊二日の温泉旅行を企画・実施しました。参加者は老若男女合わせて37名に至りました。
11時過ぎ、JVC代表の谷山、緊急支援担当の下田、ラオス担当の島村、震災対応担当の岩田の4人で、現在も避難所となっている「鶴ヶ浦生活文化センター」を訪問。簡単な挨拶の後、避難所の方々と一緒に昼食を取りながら、懇談しました。
その後、参加者の方々が続々とセンターに集まり始め、全員が揃ったところで、まず岩田からJVCの紹介と今回の温泉旅行の趣旨を説明し、引き続いて谷山から挨拶を行いました。13時過ぎ、バス2両に分かれ、「鶴ヶ浦生活文化センター」を出発しました。
途中、サービスエリアなどでの休憩を挟み、東北道・山形道を経由して、17時過ぎ、蔵王に到着。硫黄泉の湯を堪能した後、19時過ぎより、参加者の方々とJVCスタッフが一緒になって、宴会を催しました。蔵王牛のすき焼きに舌鼓を打ちつつ、お酒の力も手伝って、宴会は大いに盛り上がりました。
翌日は、早朝から温泉に入ったり、あるいは宿の前で開かれていた小さな朝市を楽しんだりと、各々が、ゆったりとした時間を過ごしました。10時、蔵王を出発し、再びバスで鶴ヶ浦に戻り、14時過ぎ、終了の運びとなりました。
後日、参加者の方々から、御礼の手紙を頂きました。その中では、温泉旅行によって、疲れた心と体が癒されたことに対する感謝の気持ちと、気仙沼の元の姿を取り戻すことでその恩返しをしたいという静かな思いが綴られていました。
鶴ヶ浦の海辺には、昭和の三陸大津波(1933年3月3日発生)の記憶を伝える石碑がひっそりと建っています。気仙沼の人々は、古来より度々自然災害によって、その生活を奪われてきました。しかし、その度ごとに、自ら立ち上がり、自分たちの生活を取り戻してきました。今回の震災によって、大きな打撃を受けた人々の中にも、復興への確かな思いがあります。JVCは、鹿折地区の人々との交流を温めながら、その思いを復興への歩みと繋げていく手助けをしていきたいと考えています。
皆様の引き続きのご支援を、よろしくお願い致します。
6/12:仮設住宅の問題
この度、気仙沼の震災支援担当となりました岩田健一郎です。これまで、JVCにはボランティアとして参加してきましたが、今回の震災を機に、JVCでの活動への関わりを今一歩深めることとなりました。どうぞよろしくお願い致します。
JVCは、被災地での活動として、3月下旬より、気仙沼市災害ボランティアセンターの運営支援を行ってきました。災害ボランティアセンターの活動の一つとして、避難所や仮設住宅での聞き取り調査があり、JVCもこの調査活動に参加しています。現在、被災地では避難所から仮設住宅への移動が進んでいますが、その動きに伴い、様々な問題が起こりつつあります。
仮設住宅への入居=自立?
ある仮設住宅は高台に位置し、また街の中心部から離れているため、生活するためには車などの移動手段が必要となります。移動手段を持たない入居者(特に高齢者)にとっては、買い物一つするのも困難であり、日中は仮設住宅に閉じこもりがちになります。一方で、避難所から仮設住宅に移ることで、物資の配給が止まり、ニーズの聞き取りなどの訪問も減少します。一度、仮設住宅に入れば自立と見なされがちですが、実際の生活環境は自立したものとは程遠く、仮設住宅入居者はその狭間に落ち込む危険性があります。
避難所と仮設住宅の軋轢
ある中学校では、体育館に避難所が、校庭に仮設住宅が、隣合わせに設置されています。体育館にある避難所から、校庭にある仮設住宅に移ることのできた被災者もいれば、抽選に落ち、依然として避難所生活を続けている被災者もいます。
避難所に設置された洗濯機には、隣接する仮設住宅入居者の利用を禁じる張り紙が付されています。また、避難所で働くスタッフからは、避難所生活者向けのレクリエーションを行うことに、仮設住宅生活者への遠慮が垣間見られます。
仮設住宅入居者の話によると、子供が避難所生活者からいじめに近い扱いを受けたと言います。仮設住宅への入居の可否が分かれることによって、避難所と仮設住宅との間に感情的な対立が生まれ、軋轢が深まる恐れがあります。
不明確な入居の判定基準
仮設住宅にはスロープ付きのバリアフリータイプのものと、スロープのないタイプのものとがあります。車椅子を必要とする身体に障害をもつ入居者がスロープなしの住宅に入り、障害を持たない入居者がスロープ付きの住宅に入るというあべこべの状況が生まれています。身体に障害を持つ入居者の家族の方に話を聴くと、入居申請の際に、障害を持つ家族がいることを行政側に伝えたといいます。その方は、入居の判定基準が不明確であることに不満を持っていましたが、現在はこの状況を甘んじて受け入れています。仮設入居者の根底には、仮設に入れただけでも有難い、贅沢は言えないという思いがあります。
被災地の復興から被災者が置き去りされない様にするためには、こうした一つ一つの声を復興の在り方に反映させていかなければなりません。それが、私達NGOの役割の一つです。
4/22:自宅で避難している方たちのニーズに応える
JVCは気仙沼市社会福祉協議会のもとに立ちあがった気仙沼市災害ボランティアセンターの運営を複数の団体とともに支援しています。刻々と変わる被災者のニーズとボランティアの活動が適切にマッチングするよう調整に取り組んでいます。現在、下田 寛典と金 瑛美、長畑 凪が現地で活動中です。
気仙沼市には70ヶ所以上の避難所だけでなく、自宅で避難生活を送っている方も多くいらっしゃいます。JVCの活動の一つとして、気仙沼市巡回療養支援隊の健康相談班(シェア=国際保健協力市民の会がコーディネート)協力のもと、在宅避難されている方のニーズを探り、物資の支援やボランティア派遣につなげる家庭訪問があります。
被災の大きさや年齢、家族構成により、支援のニーズは全く異なります。訪問先の中のお一人、Tさん(女性)は津波でご主人を亡くされました。浸水した1階にあった物すべてを失い、生活がままなりません。しかし足が悪いため、買い物をすることが難しい状況です。
「自宅は無事だった」と語るSさん(70代女性)は、自宅の被害はないものの、収入源であるアパートを失い、今後の生活の見通しが立っていません。さらに家族の介護を担い、デイサービスなどの利用料金がのしかかっています。しばらく大人用おむつを入手することができず、対応に苦労していたと話します。
在宅避難をされている方々への訪問調査で、特に大人用リハビリパンツ、大人用オムツ、タオル類、食材、お米、下着などの必要性がいまだ高いことが分かりました。すでにライフラインが復旧しガソリンが買える現時点では、若い人は自身で対応でき始めています。しかし外出が難しいお年寄りは自力で調達することが困難です。これらの情報をボランティアセンターの活動に迅速につなげていきます。
訪問先ではどの方も津波の様子や家族の状況を話してくださり、多くの方から「話をしたい」という思いが伝わってきます。これからも被災された方々に寄り添い、思いに丁寧に応える活動を続けていきます。
4/13:気仙沼市災害ボランティアセンターの一日
JVCは気仙沼市社会福祉協議会のもとに立ちあがった気仙沼市災害ボランティアセンターの運営を複数の団体とともに支援し、地元の方たちが主体となった活動を支えています。
3月から現地入りした下田 寛典と佐伯 美苗は一旦東京へ戻り、現在、長畑 凪(ながはたなぎ)と金 瑛美(きんよんみ)の2名が現地で活動中です。
気仙沼市災害ボランティアセンターには毎日100~200名ほどのボランティア希望者が集まり、被災された方々のニーズに応じて家屋の泥かきや瓦礫の撤去などの作業にあたっています。長畑と金はボランティアの申込対応や、支援のニーズとボランティアのマッチング、またニーズの調査をサポート。自らも被災しながら献身的に地域の復旧に取り組んでいる社会福祉協議会や地元の皆さんを支えるべく活動に取り組んでいます。
気仙沼市災害ボランティアセンターの一日
8:00 朝の全体ミーティング
気仙沼市災害ボランティアセンターでは、気仙沼市の社会福祉協議会を協力すべく、シャンティ国際ボランティア会(SVA)さんや各地の社会福祉協議会など複数の団体が協働しています。朝8時、ボランティア調整部門や、ニーズ・問い合わせ対応部門など約30名のスタッフが集まり、一日の動きを確認します。
9:00 ボランティア受付開始
事務所の外に設けた受付テントは毎朝たくさんのボランティア参加者で活気づきます。ボランティア調整部門の長畑も受付へ。ボランティアには市内在住の高校生、社会人など幅広い年代の方が参加されています。4月11日(月)は95名を受け付けました。初めての参加者には保険加入の手続きも。最近は継続の方が増えています。
ボランティア活動地へ移動
ボランティア参加者は数人ごとのグループに分けられ、ニーズ調査に基づいて決められた今日の訪問先へ向かいます。車両班や資材班が、移動のための車や運転手、スコップなど必要な道具を調整します。
9:30 避難所での調査
一方、金が参加している「避難所班」は避難所でニーズ調査を開始。避難所ごとにニーズは大きく異なります。ある避難所ではトイレの環境改善の要望が強く挙げられました。ストレス軽減のためにも重要な課題です。物資としては春物の服や基礎化粧品が足りないとの声も。これらのニーズ調査を、災害ボランティアセンターの活動調整につなげていきます。
事務所での電話対応
また、事務所ではボランティアに関する電話対応が進んでいます。自身が被災され家を失いながらも「ボランティアをしたい」と申し出る方も多くいらっしゃいます。
その後、班別のミーティングで情報共有します。
17:30 全体ミーティング
最後にセンターのスタッフ全員で一日のまとめのミーティング。その後も各自の事務作業などを行い、宿泊先へ戻ります。
今後、学校の再開、避難所の統廃合、仮設住宅への移動など現地では様々な局面を迎えることになります。また、ゴールデンウィークには多くのボランティアが気仙沼にも訪れることが予想されます。災害ボランティアセンターでは、こうした局面に対応しながら、住民の方が生活再建に取りかかれるよう活動を続けていきます。
3/30:気仙沼市災害ボランティアセンターの運営を支援します
3月28日(月)、気仙沼市社会福祉協議会のもとに気仙沼市災害ボランティアセンターが立ち上がりました。JVCはシャンティ国際ボランティア会(SVA)とともにこのセンターの運営を側面支援し、地元の方たちが主体となった復興を支えていきます。
活動内容
- 被災者のニーズ調査
- ボランティアの受入窓口業務
- 支援ニーズとボランティアの調整等のサポート
この活動にあたり、国内外での緊急支援の経験を持つ以下のスタッフを派遣しています。
下田 寛典(緊急支援担当)
佐伯 美苗(スーダン事業担当