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5月8日、イスラエルが60周年の独立記念日を祝う中、イスラエル国籍を持つ「48年パレスチナ人」(1948年に後のイスラエルに留まったパレスチナ人)は、ナクバ・マーチを開催しました(ナクバとはパレスチナ人に起こった1948年戦争前後に土地を追われバラバラになり戦争が終わっても故郷に帰れない「大惨事」のこと)。会場となったのは、ナザレ近くのかつてサフリーヤ村があった場所。現在は、国立公園となっています。
この5月、イスラエルは建国60周年の記念行事に沸いています。7日夜には全国各地で建国前夜(イスラエルの暦は太陰暦を基本に調整をするため、祝日も毎年変わります)の祝賀フェスティバルが行われ、明け方まで、花火の音、コンサートの音が鳴り響いていました。一連の記念行事は一週間ほど開催される予定で、ブッシュ米大統領も14日に訪問し記念行事に参加することになっています。
東エルサレムにあるカランディア村は、壁(建設中も含む)とイスラエル人専用道路に囲まれ、完全に隔離された地域です。これらの地区はパレスチナではエルサレムに入りますが、イスラエルに「併合」されたエルサレム市の外になります。カランディア村の東側に現在建設中の壁は、かつてイギリス軍が使用していたエルサレム空港跡を取り囲むための壁です。また、カランディアと同じく隔離された隣のビル・ナバラ村の移動を「緩和」させる処置として作られたのが、イスラエル人専用道路の下を通るトンネルです。
パレスチナは今年の5月、「ナクバ」(「Catastrophe=大惨事」を意味する)から60年を迎えます。イスラエルが建国宣言をしたのは1948年5月15日。その前後に400以上の村、10の都市に住んでいた多くのパレスチナ人が殺害され、またほとんどのパレスチナ人が住んでいた土地を追われて70万人以上が難民となりました。現在、国連難民救済事業機関(UNRWA)に登録されているパレスチナ難民は、ヨルダンやレバノンなどパレスチナ自治区外に住む人も含め450万人以上となっています。
医療救援協会(MRS)のラムジー先生が、アイザリヤの道を運転しながら言いました。「僕も昔はここによく遊びに来ていたんだよ、何しろ5分しかかからなかったからね」。
西エルサレムにあるユダヤ神学校メルカズ・ハラブで8人の生徒が犠牲になった乱射事件の犯人が、東エルサレムのジャバル・ムカッバル地区の出身とわかりました。出身者が西岸でもガザでもなくエルサレム出身だったことにイスラエルの多くの人が戸惑いを感じているようです。何故このような事件を起こしたのか。彼の育ったジャバル・ムカッバル地区の状況をまとめてみました。もちろん、どのような背景があったとしても、一般市民を巻き添えにする暴力は許されるものではありませんが。