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ハーレット・アル・ハレーレ村の次にMRS(医療救援協会)の医師たちと向かったのは、そこから3kmほど南の、ナビ・サムウィル村です。180人ほどの小さな村ですが、丘の上にありとても景色がきれいなところです。村の入り口は1つしかなく、その入り口はイスラエル道路、つまり周辺の入植地に続く道路につながっています。

「エルサレム市の北に、巡回診療を依頼されている村がある。2つとも入植地と分離壁に囲まれて、学校や買い物、病院への移動も厳しく制限されているんだ。村の人たちと打ち合わせに行くから、一緒に来てこの村の状況を見に来てほしい」。先日、MRS(医療救援協会)の医師と一緒に、ハーレット・アル・ハレーレ村とナビ・サムウィル村を訪れる機会がありました。
2千年前にヘロデ王によって建設されたユダヤ教の第二神殿があったとされ、考古学発掘現場であり国立公園でもある「ダビデの町」は、アルアクサモスクがあるハラム・アッシャリーフ(イスラエルは「神殿の丘」と呼ぶ)の城壁のすぐ南の東エルサレムに位置します。

東エルサレムの旧市街には、イスラム教の第三の聖地とされる7世紀に建造された岩のドームとアル・アクサ・モスクが建つハラム・アッシャリーフという広場があります。同じ敷地に紀元前20年頃にユダヤ教徒のヘロデ王によって建造され、西暦70年頃にローマ人により破壊されたユダヤ教の第二神殿があったとされています。ハラム・アッシャリーフの西側の壁(「西壁」)の土台は破壊された第二神殿時代の壁で、その時代の残存する唯一の遺跡建造物とされています。嘆きの壁と呼ばれる、表に出ている壁の距離は58メートルですが、地上に隠れた部分も含めた西壁全体の距離は480メートル以上におよぶそうです。