ガザ・栄養改善支援の記事一覧
「いいニュースがあるよ」とコーディネーターのファリッドさんから、ガザに行く前に連絡がありました。養鶏に参加する一人、アティアさんが卵を孵化させ、10羽のヒヨコがかえったとのこと。強いといわれる地元産の品種のニワトリであっても2〜3年後には卵を産まなくなります。どのタイミングで孵化について皆がトレーニングを受けるのがよいか、生産が安定するまで待ってからの方がよいかと考えていたところでした。そこで、早速ヒヨコがかえったとのニュース。私が喜んでアティアさんを訪問したのは言うまでもありません。
ガザでは、「以前はイスラエルに仕事に行っていたけれども、2000年くらいからイスラエルに行くことができなくなって、それ以来失業している」という声をよく聞きます。この日、ガザで栄養失調の子どもの治療に取り組んでいるNGO「人間の大地」の活動視察に訪れたガザ市のシャジャイア地区も同様です。
ガザで養鶏を始めてから2カ月半。これまでお伝えしてきたように(記事No.417、423、424、425、426)参加家族と何度も話し合いを持ちながら、問題点や改善した点などを確認していきます。今回の話し合いで中心的話題になったのは、鶏の餌の話。
ガザ市内、シャーフ地区にあるヌール・アマル幼稚園を訪問するのは2度目。この幼稚園には約150名の園児が通っています。去年訪問した時は、ちょうど建物内の壁をきれいに塗りなおしたところでしたが、今回訪問するとその壁にはかわいいイラストがたくさん描かれていました。微妙にシュールな表情のミッキーマウス(パレスチナではよく見かける)が、子どもたちのお気に入りのようです。
参加者へのトレーニング後、養鶏が始まって一ヵ月半。今日は参加家族に集まってもらい、「その後」の情報を共有するミーティングです。まず初めに、コーディネーターのファリッドさんが私に申し訳なさそうに言ってきました。「実は、誰も記録をつけていないんだ」。えーっ、と驚くそぶりを見せながら内心「やっぱり…」な私。参加家族にはそれぞれ、毎日いくつ卵が採れたか、いくつ家庭で食べたか、もし購入するものがあったら何にいくらかかったか、など記録をきちんとつけるようにしつこく伝えてあったのですが(HP記事424)、ノートと筆記具を配りながら実は私は「きっと面倒でやらないかもしれないなあ」と感じていたのです。聞けば、「最初の数週間は特に、卵が採れない日も多かったりして、つける気にならなかったんだよ」とのこと。
さて、無事トレーニングとミーティングを終えた後、ニワトリなどの配布が行われました。ニワトリの業者とはコーディネーターのファリッドさんが事前に調整をし、生後ある程度の日数が経っていて予防接種も済ませている丈夫なニワトリたちが、ミニバンに乗って運ばれてきました。一軒一軒、車で回りながらニワトリ11羽(雄1羽、雌10羽)、餌一袋を各家庭に配ります。
さて、今回の養鶏の事業に参加者として“選抜”された10家族ですが、最初にファリッドさんが幼稚園の先生と話し合い、
(1)幼稚園に通う子どもがいる家族
(2)失業などで特に貧しい状態にある家族
(3)ある程度、養鶏の知識や経験がある家族
(4)鶏を飼うスペースがある家族
(5)やる気と責任を持って事業に取り組むことができる家族
等を基準に、選びました。
ここはガザ市内トゥッファーハ地域の民家の中。JVCが子どもの栄養改善事業で協力しているNGO「人間の大地」が実施している地域活動の1つ、妊婦さんのための調理実習に視察に訪れました。
ガザで栄養失調の子どもの治療に取り組んでいるNGO「人間の大地」は、それぞれの地域が自主的にお母さんや子どもの健康を保ち、促進していけるよう応援しています。この日はガザ市内の2つの地域での取り組みを見せてもらいました。
2008年末から始まったイスラエルによる大規模な軍事侵攻により、ガザでは様々な形での大規模な緊急支援が行われる一方、2009年にはそのような「一時しのぎ」の支援に疲れた人々の表情も見かけました。「今一番必要なものは何ですか?」と聞くと、「封鎖が解除され仕事ができるようになることだ」という声を次第に人々から聞くようになりました。もちろん、今日食べるものに困り、貧困の影響を身体的にも最も受けやすい人々を支え続けることは大切です。しかし今日食べるものを与えたところで、その日のお腹を満たすことはできても、明日お腹を満たすことはできないかもしれません。もちろん封鎖が解除されない限り、ガザの人々が自らの手で生活を立て直し、家族を養い、社会を立て直せるようにはなりません。そのためには政治レベルでの解決が必要です。しかし少なくとも、私たちにはガザで自分たちの手で何か出来ることをしようとしている人々の後押しができるのではないか、と考え始めました。そのひとつが、家庭で消費する食べ物の生産でした。