イラク・ヨルダン現地情報
9月からルウェイシェッド難民キャンプでワークショップが始まった。
週3日のコース。
CAREで働く災害心理学のデイビッド博士によると、「トラウマを抱える子どもはほとんどいない。活動は特に気を使う必要はないだろう」ということだった。実際子どもたちに接してみると、非常に明るいと思える。
検査に病院を訪れたムスタファ君は、9月1日、手術の可能性もあり再び入院することになった。
「もう9回も手術したのに、いやだよー」と泣き叫ぶ。父のエマッドさんも、苦しむ息子の姿に耐えられず涙が頬を伝わる。
ムスタファ君とサーカスを見に行こうと約束していたのに、それどころではなくなった。抗生剤を点滴して、足が腐るのを防ぐための入院だと言う。無事に退院したが、あと2ヶ月は様子を見るためにヨルダンにとどまって通院しなければいけない。家族に会えない寂しさ。親子はホームシックになっていた。
「サーカスを見に行こう」ムスタファ君の目が輝く。
国連本部訪問
国連がNGOに現状説明のミーティングをすると聞き、国連本部を訪問しました。場所は爆破事件のあった現場の跡で、敷地の裏側から入り、各国際機関のテント&プレハブ村が会場となっていました。

ムスタファ君の誕生日会。
ケーキにはたった9本のろうそくがたてられた。
9回目の誕生日。
でもそれは9回目の手術でも会ったのだ。
9歳になったばかりの少年が担う「戦争」はあまりにも重い。
ヨルダン政府は、現在難民キャンプにいる822人のパレスチナ難民に関して、一部ヨルダン国内への受け入れを表明した。24日サミル・ハバシュネ内務大臣が難民キャンプを訪問し、ヨルダン国籍の妻をもつ66家族の受け入れを表明した。これで約386人がヨルダン国内に移動する可能性がでてきた。
ヨルダン国境のルェイシッド難民キャンプに、JVC/カリタス・ヨルダン、そしてCAREの協働により、子ども図書館がオープンした。キャンプの人口の半数が18歳以下である。子どもたちが少しでも楽しく時を過ごせ、“キャンプ”という閉塞感のある場所で、少しでも世界とのつながりを感じて欲しい、そんな目的で設立された。
日本のヒロシマ、ナガサキの原爆記念日の慰霊祭は、こちらヨルダンでも毎年報道されているという。1945年の8月9日は、74000人が原爆の犠牲になった「ナガサキ」の日。
ジャスミンの香りが、アンマンの街中にいっそう漂うある日の夕方、岩波ブックレット『子どもたちのイラク』をアンマンに住むイラク難民の子どもたち、アリ君とランダちゃんに届けた(アリ君とランちゃんについては、写真と共に、この本の28ページに掲載されています)。アリ君とランダちゃんは、お母さんのサメルと共に、石垣ボランティアと私を快く迎えてくれた。