ジャスミンの香りが、アンマンの街中にいっそう漂うある日の夕方、岩波ブックレット『子どもたちのイラク』をアンマンに住むイラク難民の子どもたち、アリ君とランダちゃんに届けた(アリ君とランちゃんについては、写真と共に、この本の28ページに掲載されています)。アリ君とランダちゃんは、お母さんのサメルと共に、石垣ボランティアと私を快く迎えてくれた。
アリ君とランダちゃんは、掲載されている自分達の写真を見て、少し照れながらも嬉しそう。お母さんのサメルも嬉しそう。ただ、昔バクダッドで、養護教員をしていたというサメルは、白血病で闘病する子どもたちの写真を見ると、「子どもを持つ母親として、胸が痛む。ひどい現実だ」と、悲しそうに眉間にしわを寄せた。また、アメリカ軍に陳情する小児がんの子どもを抱いた母親の写真(39ページ)を見ると、「アメリカ軍が何もしてくれないのは、私たちもわかっている」と言い放った。

3月のイラク攻撃の際、政治難民のアリ君のお父さん、アブアリは、「サダム・フセインは嫌いだけど、イラク人のためなら自分も戦う」と、家族を故郷に残して来ている多くのイラク難民の心境を代弁するように語っていた。3月にアブアリは、「サダム政権が倒れても、私たちはすべてを失ってしまっている。イラクに帰ることは出来ない」と話してくれていた。
現在でも、その胸の内は変わらない。しかし、イラクの旧政権が倒れた今、イラク難民の第3国定住への希望はほとんど持てなくなってしまった。「自主的帰還」が残された道である彼らは、否応なしにアンマンに留まるしかないのだ。
「今日は、父親が仕事先のドバイから、バクダッドの母親のところによって、それからアンマンに2年ぶりに私たちに会いに来てくれたの。正規のビザが無いから、2日間だけの滞在だけだったけど、とっても嬉しかった。さっき、ドバイ行きのタクシー乗り場に送りに行ってきたところ。おじいちゃんとお別れしたくなくて、ランダはずっとだだをこねて泣いていたけど、今は元気になったみたい」とサメルは語った。初老のお父さんがバクダッドから届けてくれたという、お母さん手作りのクレーチェというデーツ入りのパイを、私たちにごちそうしてくれた。
「お父さんは、私たちが置かれているこの状況に胸を痛めている。でもどうすることもできない。ランダを幼稚園に行かせたいけど、そんな余裕もない。サダム政権が倒れても、私たちは難民であることに変わりはない」とサメル。
お絵かき好きのランダちゃんは、「きれいなドレスを着たランダと、きれいなお家を描いて」と私にせがんだ。アブアリの一家は、イラクの秘密警察にアンマンまで追われて、転々とせざるを得なかったというつらい経験をしてきた。以前、アブアリが「いつかは安心して暮らすことが出来る家を持つこと、それが私の夢」と語っていたのを思い出した。アブアリのそんな素朴な夢がかないますように、そう思いながら私はドレスを着たランダちゃんの絵を描いた。