イラク・ヨルダン現地情報
2月8日(日)、バグダッドのマンスール教育病院を訪問した。この日を境に、病院の名前は「子ども福祉教育病院」になっていた。医師の話では、こちらの方が元々の名前で、『マンスール』と言うのはサダム・フセインが後からつけた名前だと言う。つまりは元の名前に戻ったわけだ。
シーア派のイスラム教徒は、預言者モハメッドの孫フセインを神格化している。彼が殺された日は、同じ痛みを分かち合おうと自ら身体を鞭打つ。ダンスのように歌いながら胸を叩いたりするが場合によっては血が出るまで鎖で鞭打つ人もいる。これがアシュラーのお祭りだ。
Happy New Year!今年もあなたがたが平和であります様に
年末年始をバグダッドで過ごしていたため、日本の正月を楽しむことが出来なかったのですが、ちょうどひと月遅れの今、正月気分を味わっています。
イスラームの二大祭りの一つ、イード・アル・アドハ(犠牲祭)が始まり、2月1日から4日はイラクでは休みになっています。次の土曜日の7日まで休みのところも多いです。
この時期は、ムスリムにとっては一生に一度は務めとされるメッカへの巡礼の時期に当たります。またこれを犠牲祭と呼ぶのは、神の試練により自分の息子を犠牲にして殺すことになったムハマド(マホメッド)が、最後は神の思し召しで、息子の代わりに羊を差し出すことになったという故事に基づいているようです。
JVCではイラク緊急支援として、湾岸戦争以来イラクで使われてきた劣化ウラン弾との関連性が疑われる、ガン・白血病に苦しむ子どもたちを助けようと、これらの病気の専門病棟を持つ病院への支援を続けています。
2月3日は、白血病の女の子、ラナちゃんの一周忌だった。
イラクの子どもたちの絵の原画展をやるのは初めてだ。なぜここまで引き伸ばしたかといえば、ラナちゃんの描いてくれた絵が紛失したりして、なかなか原画展をやる気力もなかったからだ。
昨年暮れに大掃除をしていると奇跡的にラナちゃんの原画が見つかった。ただ鉛筆で描いただけの絵だけれど、こんなに迫力のある絵はほかにない。
12月30日 再びセントラル教育病院にて
アッバース君は昨日から危篤状態だった。病院に着くと「今朝亡くなった」と医師に言われ愕然としたが、病棟に行ってみるとまだ生きていた。しかし虫の息で酸素吸入を続けており、病床には親族と思われる人々が集まり泣きじゃくっていた。容態からして後は時間の問題と思われ、つらい思いで病院を後にする。
バクダッドのセントラル教育病院の病棟を訪問
JVCは2003年8月以降、バグダッドにあるガンと白血病の専門病棟を持つ二つの病院に対して、治療用の薬品と機材の支援を続けている。
JVCのイラクでの活動について
いよいよサマワに陸上自衛隊の先遣隊が派遣されました。
JVCでは、自衛隊が派遣された際の治安の悪化や日本人が狙われる可能性なども含め、今後の活動の方法を調査しました。そして内戦など最悪の状態でも活動を継続する体制作りを行いました。
現在JVCは、白血病の子どもたちの支援を中心に、バグダッドのガン専門病院の支援を行っています。治安の悪化に伴い援助が滞る中で、薬の欠乏を補う活動が中心です。昨年12月26日から今年の1月16日にかけて原文次郎、中島謙一郎をバグダッドに派遣しました。病院からは約250万円相当の薬のニーズを訴えられ、現在ヨルダンで準備をする傍ら、日本では、さらなる募金も募ります。
JVCスタッフから最新の情報をお届けします。(以上中東担当)
ヨルダンのイラク国境付近の町ルウェイシェッドにある難民キャンプ内の図書館にて、久しぶりに子どもたちに再会した。私達が図書館に入るとまず、パレスチナで歓迎を意味する歌を歌ってくれた。入り口で再会した男の子は、頬を交互に合わせてチュ・チュと2・3回繰り返すアラブ式のキスをしてくれる。