JVCではイラク緊急支援として、湾岸戦争以来イラクで使われてきた劣化ウラン弾との関連性が疑われる、ガン・白血病に苦しむ子どもたちを助けようと、これらの病気の専門病棟を持つ病院への支援を続けています。
11月以降の治安状況の悪化はイラクでの活動を難しくしています。特に11月29日の日本人外交官殺害事件は、現地入りしての活動を慎重に考えざるを得ない契機となりました。この様な中で、12月は隣国ヨルダンのアンマンに滞在しながら、支援会議のために来られたイラク人医師との情報交換を進め、またこの機会に支援の薬品や機材を渡すことで、支援を継続してきました。

しかし、何よりも現場のニーズを直接把握することが大切と考え、年末年始の3週間に渡ってバグダッドの2病院(マンスール教育病院、セントラル教育病院)を訪問しました。
この間、大晦日を前にアッバース君の死に際に立ち会うなど悲しい出来事もありました。しかしバグダッドの医師もようやくEメールを使える環境が整ってきました。バグダッドの病院を訪問中に、抗ガン剤や抗生物質などの薬品が相変わらず足りないことを知り、再び戻ったアンマンでこれらの薬の調達に奔走している間にも、刻々とバグダッドからの要請をEメールで聞くことができる様になりました。
そうして、再度のバグダッド入りを決めて、1月27日夜の出発を調整している矢先、27日の朝にマンスール教育病院のマーゼン医師から届いたメールの題名は、『医療機材の緊急要請』でした。
「配給でくるはずの点滴用の針(カニューラ)、輸液(点滴)セット、輸血用の点滴セットが足りない。2月のイード・アル・アドハ(イスラームのお祭り)の前に最低一週間分の供給がないと治療に差し支える」とのこと。

何とかこの要請に応えたいと出発を一日延ばし、機材を揃えるという難題を何とかこなし、バグダッドへ向かいます。一週間分としてカニューラ3,000、輸液セット1,000、輸血セット300、この大荷物と個人の荷物で8人乗りの大型車(GMC)の座席が埋まってしまい、自分は助手席に乗り込み出発。アンマンを28日午後11時過ぎに出た車は、ラマディとファルージャで米軍の通行規制を受け、高速道路を迂回することになりながらも、翌29日の午前11時(イラク時間=ヨルダン時間−1時間)バグダッド市内へ到着しました。
日本で言えば、東京〜福岡間に相当する距離を走り、所要時間は11時間。本当はそのままホテルへ直行したいところですが、余りに荷物が多いので後から出直すのも大変なことと、翌日が金曜日(イスラームの祝日)なので、休みに入る前に届けなくてはということで、直接病院に向かいました。ほとんど気分は宅配便屋さん状態で病院に車を横付け。マーゼン医師には、「こんなに急な話で本当に持って来れるとは…」と感謝の前に驚かれました。
機材は資材管理室に即座に向かい、すぐに役立てられることになりました。一緒に運んだ抗生物質も、入荷を待ちかねていたかの様に、すぐ処方箋の指示で担当医に回る手回しの良さですが、
「手回しが良いと言うよりも、本当に今足りないところだったんですよ」と医師は話していました。イラクでは、先を読んだ支援が本来必要ですが、薬も機材も緊急対応が必要な状態です。この状態が続く限りはJVCからも支援は続けたい、しかし、ガン・白血病の治療薬は高価なので、支援のお金が続く限りという限定つき、暫くは試行錯誤が続きます。