イラク・ヨルダン現地情報
12月7−9日、イラクの隣国ヨルダンの首都アンマンで「イラクの小児ガン患者支援のための協力関係」と題した会議が行われました。これは、アメリカのガン協会やNGOが共催し、その他に占領当局の人道支援関係者や国連の関連機関も関わる本格的なもので、今、イラクの小児ガン患者の救済に必要な緊急支援は何か、そのニーズ調査をしようというものです。
10月16日から19日にかけてドイツのハンブルグで行われた「国際劣化ウラン兵器会議」は、国連などの国際機関が中心となったものではなく、学者や法律家、退役軍人、市民団体などが参加し、市民のネットワークを作ろうというものでした。
約20カ国から200名以上の参加があり、日本からも20名程度参加しました。イラクから帰国途中のJVC佐藤もこの会議に参加しました。
チグリス川を北上するとモスルという町につく。白血病で死んでしまったラナちゃんの遺族に『子どもたちのイラク』を渡しに来たのだ。ここはクルド人やらアッシリア人やら、ともかくいろいろな少数民族が住んでいるところで独特の雰囲気が漂っているのだが、高速道路だけは立派なのがいかにもイラクらしい。
今回は、バスラに行く予定はなかったのだが、急遽、白血病の子どもたちの様子を見に行くことになった。
(前回バスラを訪れた時のことは、イラク・ヨルダン現地情報 No.36 「バスラを行く」にあります)
アンマンでの足の手術の経過も順調で9月26日にバグダッドに戻ったムスタファ君を、定期的に見舞っている。今日は朝から別の支援先に寄った後に足を運んだので、バグダッド市内マンスール地区の一角にあるムスタファ君の家に着いたのは午前11時を少し過ぎた頃になった。
門を叩くと、ムスタファ君のおじさんとお母さんが姿を見せるが、本人の姿が無い。聞くと「学校に行っている」と言う。もう学校に行けるほど元気になっているのかと驚く。
朝方、ルウェイシェッドのホテルで仮眠を取る。3時30分、車がやってきた。吉野がイラクに届ける白血病の薬を持ってきた。
ムスタファ君は車の中。長ズボンをはくとちょっと大人びて見える。
「眠い?」
「ううん。バグダッドまでは寝ないよ」
いよいよ出発。吉野やムラッド、JVCの運転手アイマンが見送ってくれる。ムスタファ親子とレストランでスープを飲んでいよいよ国境を目指す。星がきれいだ。まるで、宇宙を飛んでいるような感じ。
まだ日が昇らないうちに出国審査を済ませる。ここまでは実にスムーズにいった。
バスラのイブンガスワン病院には、オーストリアの援助で出来た白血病の子どもたちの‘遊び場’がある。ビデオを見たり、お絵かきをしたり、三輪車などちょっとしたおもちゃがおいてある。
病院にニーズを聞くとまず、薬の支援と医療機器の支援を求められる。しかし、一方で、子どもたちが少しでも痛みを忘れて治療を受けられる環境作りも大切だ。
ちょうどアンマンから難民キャンプに向かう車の中で、ローカルスタッフのムラッドがアラビア語の新聞を訳してくれた。
国連に難民認定されないソマリア人のグループがルウェイシェッドのUNHCR事務所を占拠していたが、焼身自殺を図ろうとガソリンを撒き火をつけた。2名が怪我をした。うち一人は40%以上のやけどを負い重体だという。