今回は、バスラに行く予定はなかったのだが、急遽、白血病の子どもたちの様子を見に行くことになった。
(前回バスラを訪れた時のことは、イラク・ヨルダン現地情報 No.36 「バスラを行く」にあります)
6月に出会ったヌールちゃんのことも心配だ。病院に行くと、お兄さんが警察官として働いていた。病院を警護しているそうだ。妹は退院して状態は結構良くなっているとのことだった。家に案内してもらう。ヌールちゃんは、ちょっとふっくらしていて元気そうである。

お兄さんのアリさんは、前回の湾岸戦争ではクウェートで戦った。当時15歳だった。
「サダムのコマンドに入っていた。米軍のヘリコプターを撃ち落した」という。劣化ウラン弾のことを気にしている。アメリカ軍の戦車から発射された弾丸がイラク軍の戦車を撃墜したとき、戦車から炎が上がるのを見たという。最近は心臓を患っている。劣化ウラン弾で被爆したと信じている。
「アメリカに雇われている?僕はイラクの警察だ。イラク人を守っている。アメリカがイラク人を攻撃してきたら再び戦う」
バスラのインターネットカフェでプリントアウトしたJVCのホームページを見せる。ヌールちゃんの写真が出ている。その下には、6月に出会ったもう一人の男の子の写真が出ていた。この子も訪ねてみたくなったが、そのときは名前を聞くのも忘れていた。
「この子はかわいそうに死んでしまいましたよ」
名前を聞いたが聞き取れない。紙に書いてもらう。
Nowars、ノワース君だった。原は目ざとく「No! Wars!(戦争反対)に見えますね」とため息混じりにつぶやいた。私たちは訪問するかどうか迷った。亡くなったのは40日ほど前、まだ悲しみが癒えないだろうから、行かないほうがいいという意見もあった。しかし、その悲しみを分かち合いたい気持ちでどうしても会いたかった。正確な住所は分からなかったが、住んでいる地域を教えてもらった。かすかな記憶をたどって探しだすしかない。
ドライバーにゆっくり走るように指示する。あの時、ノワース君は病院から自宅に戻る途中だったので、一緒に車に乗せてあげた。私はノワース君が車から降りて歩いて家に戻るところをビデオで撮影していた。ノワース君の歩いた同じ道を今、またビデオにおさめている。そのとき「まるで家畜小屋だ」と思った家があった。お姉さんが出てきた。
「ノワースは、ちょうど戦争が始まったころから体調がおかしくなったんです。最後に注射をしたら、足がパンパンに腫れてしまって、かわいそうで見ていられなかった」
お姉さんの頬には涙が伝った。私はビデオを回し続けた。前回、ノワース君の取材をしていたときは、彼女は恥ずかしがってビデオから逃げていた。それが、今はしっかりとビデオを見据えて話していたのだ。伝えたいのだろう。
私たちは、お悔やみを行ってその場を立ち去った。
しばらくするとドライバーが泣き出した。もう運転できないほど泣き出した。私たちは車を止めてため息をついた。「不条理」を感じずにはおれなかった。
