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ラナちゃんに会いに行く

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2003年11月 6日 更新

チグリス川を北上するとモスルという町につく。白血病で死んでしまったラナちゃんの遺族に『子どもたちのイラク』を渡しに来たのだ。ここはクルド人やらアッシリア人やら、ともかくいろいろな少数民族が住んでいるところで独特の雰囲気が漂っているのだが、高速道路だけは立派なのがいかにもイラクらしい。

ホテルから電話をしても誰もでない。はたして家を探しあてることができるのだろうかと不安になる。

その夜は、魚を食べることにした。フナのような鯉のような大きな川魚で、バグダッドやバスラでは肉ばかり食っていたのでこれがうまい。醤油をもってくればよかったなと後悔する。バグダッドの川は、核施設が戦後略奪され、住民がイエローケーキ(精錬した酸化ウランの粉末)の入ったドラム缶を盗み、中に入っていたイエローケーキをチグリス川の水で洗って、水がめとして使っていたという。それでチグリス川は放射能汚染してしまっていて、魚を食う気はしなかった。バグダッドから500kmも上流に行けば大丈夫だろう。放射能汚染していない魚は実においしい。

渡した本を見るラナちゃんの両親渡した本を見るラナちゃんの両親

あくる日、ラナちゃんの家を探す。なかなか見つからなかったのだが病院で教えてもらった住所を頼りに近所の住民に道を聞く。ラナちゃんの弟が家の前で遊んでいた。顔がそっくりだ。お母さんが出てきた。日本からの訪問者に驚きながらも、私のことを覚えていてくれた。早速『子どもたちのイラク』を渡した。ラナちゃんが写真の中で手にしているのは私がパソコンでコラージュしたポストカードだ。お母さんは、そのときのポストカードを持ってきてくれた。今でも大切に保管してくれていたのだ。一月末、もう戦争が始まろうとしていたので、イラクで薬を手に入れるのは不可能だった。ラナちゃんはろくな治療を受けることもできなかったようだったので、一ヶ月も持たなかった。

「あんな素敵な娘は、イラク中のどこを探してもいませんよ」とお母さんは語ってくれた。ちょうど15日前に男の子が生まれた。そのせいか、家族にも明るい希望が見て取れた。抱っこさせてもらう。とっても重く感じた。ラナちゃんの生まれ変わり? 命ってこんなに重いのだ。

本を渡すことができてなんだか肩の荷がおりたような気分だ。すべてが終わったような。でもまた、始まったような。

ラナちゃんの家族ラナちゃんの家族