\n"; ?> JVC - もうひとつの闘い - イラク・ヨルダン現地情報

もうひとつの闘い

パレスチナ事業担当 看護師 吉野 都 吉野 都
2003年8月 7日 更新

(2003年7月29日報告"灼熱のルェイシッド難民キャンプ"の続編)

先日、灼熱のルェイシッド難民キャンプで出会ったバッサーム氏の甥ムハンマド(仮名)が、白血病を患いアンマンの病院に入院しているという。アラビア語専門の石垣ボランティアと私は、ムハンマドの入院する病院へお見舞いに行った。

5歳のムハンマドは、長髪のくるくるした金髪を束ねた、一見女の子のような風貌をした男の子だった。お父さんのアブ・ムハンマドは、「僕の好みでこのように髪を長くしているのだ」と笑った。ムハンマドは、病気に加えて薬の副作用もあってか、だるいだろう、私たちに最初は笑顔を見せることはなく、黙っていた。「これでも今日は、元気なほうです」とお父さんは言う。

2週間前に病気が発見される前までは、ルェイシッドの難民キャンプで走りまわっていたというムハンマド。最初に、風邪のような症状が出現し、その後リンパ節などの痛みを強く訴えたため、ルェイシッドの病院で検査を受けた。その後、さらなる精密検査が必要だということで、アンマンにやって来た。"難民"である彼らにとっては、そこまでの道のりさえも困難であった。

7月1日には、ムハンマドの弟がアンマンで産まれた。お母さんはヨルダンのパスポートを持つパレスチナ人なので、アンマンに行くことができた。現在もアンマンの親戚のうちで、お母さんは赤ちゃんと共に暮らしている。しかし、ムハンマドのお父さんは、リビア生まれのパレスチナ人で、ヨルダン国籍は無い。そのため、お父さんと、お父さんに属するムハンマドをはじめとした子どもたちは、アンマンに来ることさえ許されず、国境のルェイシッド・キャンプに留まざるを得ない"難民"となった。

その後、ヨルダンの人権委員会やUNHCRの計らいで、ムハンマドはアンマンの病院で検査や治療を受けることが出来るようになった。イラクでのパレスチナ人迫害を避けるために、着の身着のままヨルダンにやって来たムハンマド一家。彼らの、もうひとつの闘いはこれから始まると言っても過言ではないだろう。今後、ムハンマドは、苦しい治療と副作用に耐えなければならないだろう。そんな時、医療者と共に家族が彼を支えることが非常に重要になる。

しかし、お父さんがこう私たちに話した。「我々の家族は今、みんなばらばらです。妻と産まれたばかりの赤ん坊はアンマンの親戚のうちにいる。私は、毎日病院に寝泊りし、ムハンマドから片時も離れられません。ムハンマドの姉と弟は、ルェイシッドのキャンプです。家族が離れ離れということは、とても悲しい事実です。ムハンマドが元気になって、家族が幸せに暮らせることが唯一の望みです。身分を証明するものがきちんとあって、移動する自由があること、それを我々が手に入れることができるのは、いつのことなのでしょうか」

ムハンマドは、ベッドの中でお父さんの話を静かに聞いていた。石垣ボランティアが話術で彼を楽しませようとしたが、彼はなかなか笑わなかった。しかし、最後に私たちとお別れの挨拶をするときに、「シュクラン(ありがとう)」と小声で微笑んだ。お父さんが、そんなムハンマドの頬にキスをした。