南相馬日記
南相馬市は4月下旬に、警戒区域で立入禁止の小高区、緊急時避難準備区域の原町区、西部の計画的避難区域、指定外の鹿島区と四分されました。9月下旬に避難準備区域が解除され、南相馬市の中心部・原町区も高齢者や子どもも「堂々と」住むことができるようになり、小学校や高齢者施設も順次再開されました。
午前中に、リアルタイム地震情報利用協議会の小島隆雄さんが、放送室に緊急地震通報装置を設置してくださった。
午後からは、神戸のFMわぃわぃの協力を得て、ワークショップ「みんなで考える南相馬災害FM放送のこれから」を開きました。市民の広い層が、これまでの災害FM放送の活動を共有し、これからの災害FM放送のあり方を考えるのが狙いです。商議所、社協など各種団体、地域の代表、市役所職員など地元の25人に、外部からの有識者など約40人が参加しました。
1月10日夜、南相馬市立総合病院で、ホールボディカウンター(WBC)で、南相馬市民の内部被ばく検査を行なっている、東京大学の医師、坪倉正治医師の話を聞く会を開きました。南相馬市の知人と、内輪に人集めをして「共催」というところです。
仮設住宅でサロン活動を開始しました。サロン活動というのは、普段、閉鎖されていることが多い仮設住宅の集会室に、週6日(残りの1日は社協が半日、サロンを開いています)、係員を常駐させ、仮設住宅の入居者に、コーヒーや菓子、マッサージチェア、カラオケなどのサービスを提供するものです。
遅ればせながら、新年のご挨拶を申し上げます。
南相馬の現実を発信することが任務の一つでありながら、私の能力不足、怠慢から、この日記が長く途絶えましたことを、深くお詫び申し上げます。いまさらという躊躇もありますが、やはり、災害が進行中の南相馬のことを知っていただきたく、恥ずかしながら、再開させていただきます。その南相馬の現状はおいおいお伝えするとして...。
南相馬市には、福島県、愛媛県、京都府、東京都杉並区、新潟県小千谷市、柏崎市、糸魚川市、埼玉県の所沢市などの地方自治体、自治労などから、職員が派遣されています。そのなかでも、ちょっと変わった縁なのが南砺(なんと)市です。南砺市は富山県の南西部の内陸にあり、人口は約5万5千人、岐阜県の白川郷と並んで、合掌造りで有名な五箇山がある市です。
南相馬市は、北から鹿島町、原町市、小高町の三つの市町が合併して生まれました。警戒区域に指定された小高区の一万人余りと、三つの地区の海側が津波の被害にあい、一万三千人余りが、住む家を失いました。原町区は緊急時避難準備区域に指定されたため、仮設住宅の建設は、鹿島区の山側の地域に限られました。
若い人に人気の「ブラフマン」というバンドが市内のライブハウストでコンサートをしました。会場は400人もの観客で満員になり、熱狂的に盛り上がりました。その彼ら、実は、ファンなどから集めた大型トラック9台分の、水とお菓子などの支援物資を持ってきてくれました。支援物資は、障害児を持つシングルマザーが運営する私設支援物資受け入れ所に運び込まれました。障害児のいる家庭、高齢者家庭など、災害弱者に届けられます。
「歌手の泉谷しげるさんが、FM放送に生出演してくれるかも」という興奮気味のメールが、東京に出張中の私の携帯に入ってきました。市長を訪問した泉谷さんに、名刺を渡したら、頼む前に「出よう」と言ってくださったとか。午後5時からの放送に間に合うか合わないか、微妙なタイミングという。
第3回南相馬市復興市民会議が開かれ、復興の基本理念、基本方針、主要施策が決まりました。
復興の基本理念のうち、スローガンは「心ひとつに 世界に誇る 南相馬の再興を」です。基本方針案としては、次の三つが示されました。①すべての市民が帰郷し、地域の絆で結ばれたまちの再生②逆境を飛躍に変える創造と活力のある経済復興③原子力災害を克服し世界に発信する安全・安心の町づくり―です。