南相馬日記
仮設住宅から、災害公営住宅や再建された住宅への移転が進む中、終の住み処となる地でのコミュニティ再生を目指し、現在JVCは、南相馬市原町区大町の災害公営住宅の住民たちが運営するサロン「大町きらきらサロン」のサポートを行っています。先日、大町きらきらサロンで行われる暑気払いに、お手伝いも兼ねて参加してきました。その様子を、一緒に同行してくれた東京事務所アルバイトの秋山さんがレポートします。
<以下、秋山さんレポート>
2012年1月より南相馬市鹿島区の仮設住宅4ヶ所で実施してきた「常設型サロン活動」が2017年3月を以て終了しました。
仮設住宅入居の際、もともとあった集落が考慮されなかったため、住民は見知らぬ人々との生活を余儀なくされました。当初は「隣に誰が住んでいるかも分からない」状況だったのですが、約5年を経てサロンで住民同士が知り合い、仮設住宅が一つのコミュニティになるまでになりました。
「常設型サロン」の運営にあたっては震災後に地元の有志が立ち上げた「つながっぺ南相馬」を側面支援するかたちで運営してきました。サロンを通じて住民を支えて来れたのは、雨の日も雪の日もサロンで住民を励まし続けた「つながっぺ南相馬」のスタッフの頑張りのおかげです。本当に頭が下がる思いです。また、仮設住宅で健康講座や民謡講座をボランタリーで開いてくださった方々、ボランティアで訪問してくださった方々のご協力なしではきっとやり遂げられなかったでしょう。
JVCはあくまで外部からの支援者とし仮設住宅での支援に関わってきましたが、目の当たりにしてきたのは、自ら自分たちの問題を解決しようとする地域の方々の強い意思と努力でした。この場に長い間関わらせて頂いたことを光栄に思います。
「常設型サロン活動」を実施してきた仮設住宅の住民のほとんどは、災害公営住宅や復興公営住宅、元いた地域に移転していきました。一見、「被災」が終わり、全てが解決したように思えますが、まだまだ多くの問題があります。災害公営団地/復興公営住宅は仮設住宅と同様にコミュニティの単位を考慮せず入居を進めたため、仮設住宅の時と同様に住民同士のつながりがない状況です。団地に引っ越した後も「団地で行き場がない」とタクシーを使って仮設住宅のサロンに訪れる住民がいたほどです。
JVCは活動の場を仮設住宅から災害公営団地/復興公営団地に活動の場を移し、住民の方々のコミュニティづくりにご協力していく予定です。
先日、JVCと協力して南相馬の仮設住宅4箇所で「サロン」を運営する「NPO法人 つながっぺ南相馬」がコンサートを「小高・原町・鹿島を繋ぐ歌の輪コンサート」を開催しました。歌うのは、サロンで歌を学んできた仮設住宅の住民たち。この日にむけて練習を繰り返してきました。コンサートには約300人が来場。出演者がステージにあがり、歌が披露される度、大きな拍手が送られました。
去る3月8日、福島県南相馬市小高区塚原地区の公民館(塚原公会堂)で東日本大震災の犠牲者を弔う法要が執り行われた。小雨が降るなか、遺族や地区の住民、市長などが訪れ、この世を去った人々に鎮魂の祈りを捧げた。住民の寄付で建ててられた慰霊碑のお披露目もなされた。
今回の法要は、JVCの福島支援を長年支え続けてくれているアーユス仏教国際ネットワークの呼びかけで集まった有志の僧侶らがボランティアで行ってくれた。8人もの方が各地から集まってくれた。震災から4年を経て、被災地への関心が薄れる中、これだけの方々が福島に関心を寄せ集まってくれたことに感謝の意を表したい。
しかしながら、南相馬の復興への道のりはまだまだ道半ばだ。南相馬市小高区は原発から20キロ圏内ということもあり、震災後には立ち入り禁止の警戒区域に指定され、今でも住民は住むことができない。東京と仙台を結ぶ常磐道が今月はじめに開通したこともあり、車両の往来は増えているが、そこにあるはずの人々の生活は戻ってきておらず、夜になると町は静寂に包まれる。
JVCは南相馬市の仮設住宅4ヶ所で地元団体と共に、住民にコミュニケーションの場所を提供するサロン活動を続けている。長い人では入居から3年以上が経過し、疲れが見え始めている。若い世代の多くが放射能被害を逃れるため市外に避難しているため、南相馬市の仮設住宅の平均年齢は80歳近い。息子夫婦と離れ、仮設住宅で高齢者夫婦が暮らすことは、大きなストレスとなる。また、阪神大震災の時に大きな問題となった単身者の仮設住宅での孤独死も問題になっている。JVCの活動地では無かったが、昨年度20人もの方が仮設住宅で孤独死の犠牲となった。孤独死ではなくても、故郷の家を離れ、仮設住宅でこの世を去る人も出てきている。
震災から4年を経て、南相馬市では確かに店は増え、人の往来も増えた。しかしながら、住民の心の復興はまだ道半ばにも達していない。少しでも住民の方々に寄り添い、活動を続けていきたい。
(南相馬事業協力団体「NPO法人つながっぺ南相馬」代表今野由喜氏寄稿)
大震災から間もなく5年目に入る今日でも故郷への帰還が叶わず仮設住宅で避難生活を送る子供や多くの高齢者にとって、サロンは人々のきづなや将来への希望をつなぎ、心も身体も健康でストレスに負けずに避難生活を送るための大事な活動拠点になっています。
震災翌年の2012年1月に日本国際ボランティアセンター(JVC)の支援を受け南相馬市鹿島区内で、「癒しのサロン」と言う名称でコミュニティサロンを開設しました。今日では4ヵ所の仮設住宅で、毎月約3000人の被災者が利用する様になっております。
任意団体から始めた、この活動も長期・継続的に取り組む必要性から、JVCの助言や指導を受け、NPO法人化による組織基盤の強化や自主活動範囲の拡大に取組むと同時に、内外のボランティア団体・企業・高校や大学等の被災地支援活動を積極的に受入れ、人と人とを繋ぐ輪を広げて来ることができました。
実りの秋。今年は、市内の田んぼに昨年より稲穂が多く実っていることだろう。9月は南相馬に行っていないが、光景が目に浮かんでくる。3年ぶりに作付けを再開し、実証田 ※注(1)か試験田※注(2)かという違いはあるにせよ、昨年度に比べ作付面積も増えて農業の復興も少しずつだが歩みを進めつつある。
収穫したコメの全量全袋検査で農家1戸の玄米からセシウムが検出されたというニュースもあったが、きちんとした対策を講じることで、信頼と協力を回復していって欲しい。
南相馬には足を運ばなかったが、JVCと共同で仮設住宅の集会所でのコミュニティ・サロン運営をしている、NPO法人つながっぺ南相馬の理事長の今野さんに福島市に足を運んでもらい、じっくりと話を聞くことができた。といっても、国際協力NGOの協議体が主催した震災・原発事故以降の福島県での支援活動を振り返るワークショップでのディスカッションの中でことなので、いつもとは違う角度から他の参加者の話も聞きながら過去3年を振り返ることになった。
「小さな一歩、されど一歩」
今年も、南相馬市の原町区に子どもの遊び場『みんな共和国』が新しい姿でお目見えした。そもそものきっかけは、2012年2月、震災や原発事故で揺るがされた郷土の絆や誇りを見つめ直し将来を語り合おうと開催されたイベント"南相馬ダイアローグ"での若い親たちの訴えだった。
当時、市内を子ども連れで歩くだけで、なぜ避難しないのかと見られているようでつらかったという。「子どもをふつうに外で遊ばせてあげたい」という願いを叶えようと、ダイアローグから生まれた『みんな共和国』の遊び場づくりがその年の秋から始まった 。
除染が進んでいなかった当時は広い体育館など屋内施設を遊び場に仕立ててきたが、回を重ねるごとに形を変え、今回は水遊びのできる浅くて衛生的な池、"じゃぶじゃぶ池"が屋外に登場した。池が作られた高見公園は除染が済んでいるため線量も低く安心して遊ばせることができる。遊び場で当たり前の子どもの歓声が、2年前は聞くこともできなかった。南相馬の人たちの力が、将来にむけた道をまた一歩切り開いた。
「避難3年目、それぞれの夏」
1ヶ月ぶりに仮設住宅の集会場にある"サロン※注(1)"を訪問した。避難生活を送っている人たちのための交流の場として、1年ほど前から地元のNPOとJVCが協力し開いている。
"サロン"は、今や住民の生活空間の一部になっている。毎日散歩の帰りに寄り、出してもらったお茶を飲みながらマッサージ・チェアの順番を待つ人たちとひとしきりしゃべった後、自分の仮設住宅の家にもどる。そんな日常のようになった風景が、うがった見方をすれば不安定な暮らしの中に編み出された安定のように見える。
東京から毎月通っている南相馬で最近楽しみになっているのは、原町区の宿舎近くにある夜の森公園を毎朝ジョギングすることです。3周回るとちょうど15分になり、気持ち良く汗をかくことができますし、すれ違う人たちとあいさつを交わすこともできます。加えて、響き渡る鳥のさえずりしか聞こえない朝を迎えられるなんて、東京では味わうことができない最高の贅沢です。
その南相馬の朝をみんなで楽しく過ごそうと、原町区のお医者さんや医療の関係者が音頭をとって「ラジオ体操」を昨年から始めたグループがあります。名前は、「みんなのとなり組」といって、最近NPO法人格を取得した地元のNPOです。代表の堀有伸さんは、震災後に南相馬にいらした精神科の医師で、「人の心は、他の人の心を求めます」と、コミュニティの再生を通じて、メンバーの方々とこころの問題に取り組んでいます。
7月6日、ピアニストのウォン・ウィンツァンさんをお招きし、新宿御苑にあるマエストローラ音楽院で福島県・南相馬事業の支援コンサート「瞑想のピアニスト ウォン・ウィンツァンコンサート ~福島を想う七夕の旋律~」が開かれました。一日を通して約80人の方が来場。ウォン・ウィンツァンさんの透き通るような音色を通して、震災・津波・原発事故から3年が過ぎた福島に思いを馳せました。