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現地ブログ from 東日本大震災被災地

南相馬日記

仮設住宅のサロン運営などの活動を支えている白川が、南相馬市での活動や福島支援に関して見聞きしたことをお伝えします。

【66】8月21日:室内の遊び場"福島インドアパーク"と地元の"子育て支援センター"に行ってきました

震災支援担当/ アフガニスタン事業担当 谷山 由子
2012年8月29日 更新

JVCは、南相馬で子ども支援活動はしていませんが、子どもたちやおとうさん、おかあさんたちがどのような環境で子育てをしているのかを知るために、子どもの遊び場を見学してきました。

南相馬出張4日目の21日朝、梶田さん(市内在住のちゅうりっぷ文庫※主催者)と8月にオープンしたばかりの室内の子どもの遊び場、福島インドアパークに行ってきました。10時の開始時間に合わせて行ったのですが、まだ早かったのか子どもがいなく、子どもたちの遊んでいるようすをみることはできませんでした。

ただ、もともと保険会社の広い事務所だったところ(約75坪)をゆったりと使い、滑り台やブランコなどの遊具が並ぶ室内公園の趣を見ることができ、思わず
「すべってみたくなりますね」と言ったところ、
「小さい子どもさん用で空気圧があまり高くないので、大人の方はちょっと」と、丁寧に断られました。

遊具のならぶワンフロアーのつづきには、階段4、5段ほど下がった4坪ほどのスペースを使い白い砂場がしたてられ、自由に遊べる空間がひろがっていました。砂を触ってみるとお砂糖のようにさらさらした手触りで、30センチほどの厚さがあるので小さい子どもなら好きなだけ掘って遊べそうな砂場でした(大人は、ちょっと物足りないかも知れませんが)。

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【65】8月18日:小高区再訪

震災支援担当/ アフガニスタン事業担当 谷山 由子
2012年8月24日 更新

今年4月16日、警戒区域が解かれ日中だけ帰宅が許されるようになった南相馬市小高(おだか)区は、つながっぺ南相馬の代表、今野由喜さんの出身地です。今回、今野さんの案内で赴任前研修中のJVCラオスの新人スタッフ林真理子さんと3人で、未だ復興の進まない小高区を訪問しました。

「あの日、あそこの家に、うちの孫が遊びに行ってたんですよ。地震の直後、急いで孫を迎えに行って、家にいた孫の友だちとおばあさんに"津波が来るから急いで逃げた方がいいよ"って言ったんですけどね。まさかあんなに大きな津波が来るとは思っていなかったんでしょう。家の中にそのまま残って、2人とも津波に流されたんです」

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【64】8月18日:腕だめし?運だめし?今日は千倉仮設で輪投げ大会

震災支援担当/ アフガニスタン事業担当 谷山 由子
2012年8月21日 更新

JVCは、南相馬で6か所の仮設住宅の集会所を利用した談話室(以下サロン)運営の支援を行っていますが、その中のひとつ、千倉(ちくら)仮設住宅で今月18日(土)初めて輪投げ大会が開かれ賑やかに輪投げの腕前が競われました。

準備をする筆者(左)とサロン責任者の道中内さん準備をする筆者(左)とサロン責任者の道中内さん

輪投げ大会についてはこの南相馬日記ですでにご紹介済みですが、子どもから大人まで楽しめる競技としてこの地域で親しまれ、お年寄りの娯楽としても人気のイベントです。

赤、黄、青の色とりどりの9本の輪を、これも9本のピンが立つ的めがけて放り投げ輪が入ったピンの得点の合計を競い合います。

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【63】7月26日:サロンの昼休み

震災支援担当/ アフガニスタン事業担当 谷山 由子
2012年8月 3日 更新

今年4月16日に全域の警戒区域が解除され、放射線の線量によって新たに「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に3区分された南相馬市小高区。JVCとつながっぺ南相馬が共同で運営するサロンは、小高区出身者の多い仮設住宅の集会所を利用しています。

そのため、解除直後は日中家に足を運ぶ人たちが増えサロンが閑散とした時期もありました。ただ、立ち入り可能といっても「住めるということではない。避難指示は継続されている」と事前の住民説明会で桜井市長が強調したように未だに夜は区外待機のままで、宿泊できない状態が続いています。

そんな中、サロン責任者の休憩時間でもある昼休みに、こんなことがありました。

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【62】6月10日:愛称は南相馬ひばりFM

震災支援担当 楢崎 知行
2012年6月15日 更新

南相馬災害FM放送は、発災後1年以上経過したことから、より市民に親しまれる、復旧・復興のラジオ局となるために、愛称をリスナーなどに募集していました。多くの応募があり、関係者の慎重な審査の結果、南相馬ひばりFMに決まりました。

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【61】5月25日:災害FM支援活動が表彰されました!

震災支援担当 楢崎 知行
2012年5月29日 更新

総務省の中央非常通信協議会という国の機関で構成されている団体から東日本大震災の災害ラジオ支援活動で、一緒に支援活動に携わった団体とともに、JVCが表彰されました。

災害からの復旧・復興で大変な中、推薦状を書いてくれた福島県南相馬市の仲間達に深く感謝したいと思います。一緒に表彰されたものと受けとめています。

表彰状を受け取る現地調整員の楢崎知行(男性壇上)表彰状を受け取る現地調整員の楢崎知行(男性壇上)

表彰理由は以下のとおりです

「東日本大震災において、臨時災害用FMに放送局の開局・運用に多大な貢献をし、最新の災害情報や支援情報の被災者への提供に資することにより、未曽有の大災害における地域住民の安心、安全に大きく寄与した」

(代筆・事業担当白川)

【60】4月20日:区域再編された南相馬市小高区を訪ねて

震災支援担当 楢崎 知行
2012年5月29日 更新
津波で流され自宅跡を訪ねるつなっぺ南相馬代表今野由喜氏(中央)と視察中の谷山博史JVC代表理事(奥)津波で流され自宅跡を訪ねるつなっぺ南相馬代表今野由喜氏(中央)と視察中の谷山博史JVC代表理事(奥)

南相馬に一区切りつけて一カ月、また南相馬に来ています。今回は一週間程度の滞在です。会合の合間に、警戒区域(立入禁止)が解除されたばかりの小高区を訪れました。地盤沈下で水の溜まった水田、基礎のコンクリートだけ残った家のそばに散乱する堤防の破片、そして1階が無残に潰れた家屋...。地盤が弱い土地だけに、まる一年前の南相馬市の中心部より、生々しい傷跡です。

小高はここ一年、時間が止まっていたかのようです。というより、雨漏りで室内が荒れたり、盗難にあったりと、被害は増しているともいえます。しかし、首都圏や西日本の多くの人たちに、とって大震災は過去の記憶になりつつあるように思われます。家の泥かき、がれき整理...。

他の被災地ではもう片付けられているが、小高区では建物などが3月11日で時が止まっている他の被災地ではもう片付けられているが、小高区では建物などが3月11日で時が止まっている

ボランティは震災当初のように必要ですが、閉鎖されているボランティアセンターの再開は、ゴールデンウイーク後とも言われます。そして復興復旧の仕事をする人で、平日はホテルなどがほとんど取れない状況が続いています。

【59】3月17日:ご支援、ありがとうございます

震災支援担当 楢崎 知行
2012年4月12日 更新

「つながっぺ南相馬」が、最初にサロン活動を始めた西町第一(1)(3)仮設住宅の集会室で、輪投げ大会を開きました。つながっぺの今野さんによると、輪投げ大会は、小高区民にもっとも親しまれたゲームだそうです。

西町で輪投げ大会を開催することを聞きつけた、二番目に活動を開始した寺内塚合仮設住宅からも、開催希望の声が上がり、4月早々には開催の予定です。

輪投げを楽しむ皆さん輪投げを楽しむ皆さん

輪投げ大会は30人が参加、6チームに分かれて総当りの団体戦です。輪投げの的は9つあり、それぞれ点数が違います。どこかに入るか入らないか、偶然の要素も大きく、上手い人がいつも高得点とは限らないのが、人気の秘密のようです。

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【58】3月11日:東日本大震災追悼式

震災支援担当 楢崎 知行
2012年4月12日 更新

大震災から丸一年を迎え、南相馬市でも東日本大震災追悼式が開かれました。東京から午前中に、南相馬に戻り、一周年の記念企画に忙しい地元スタッフに代わり、久しぶりに取材に行って、放送の原稿を書きました。以下、その原稿です。

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【57】3月10日:東京で報告会を開きました

震災支援担当 楢崎 知行
2012年4月12日 更新

災害FM放送のディレクター役の今野聡さん、機材担当の今野由喜さんの二人を迎えて、東京のJVC新事務所の近くの喫茶店で、報告会を開きました。今野聡さんは韓国のシンポジウムで発言したことがありますが、二人とも国内での報告会は初めてです。私も同席しました。

津波から遠い東京では、今野由喜さんの「津波にあって家は全喪失、自らも車で避難中に津波に飲まれ九死に一生を得た。農作業機を集め避難経路を切り開いた。原発事故のため一族郎党20数人で娘の嫁家に避難した」などの体験は、強い印象を与えたようです。たしかに、今野さんは放送局のメンバーでは最大の被災者ですが、南相馬では決して稀な例ではありません。約7万人の市民の内、津波で650人余りがなくなり、約6万人がいったんは市外に避難し、約2万人が避難を続けているのですから...。

今野さんの住んでいた小高区は警戒区域に指定され、現在も原則、人が入ることができません。4月には避難区域の見直しが行なわれる見通しですが、そのときから復旧が始まるのです。それを忘れてほしくない、と今野さんは強調しました。

JVCもそう思います。新年度はこれまで以上に、南相馬からの発信を強める予定です。