ラオススタッフ徒然日記
前回ご紹介のラタン栽培名人Tさんにラタン発芽技術を教わったとMさん。スタッフにやり方を教えてくれるのですが、ここでも「教わった」という言い方はせず「Tさんのやり方を見た」と表現するのが面白いところ。Tさんとは親しい様子で決して「教わった」という言い方をするのがしゃくにさわるとか、そういうふうに思っているから、とは感じられません。想像に過ぎませんが、前回紹介したTさんの言い方からしても、「教えた」「教わった」というのも大げさな感じなのでしょうか。
ラタンは籐カゴ、籐椅子といったかたちで手工芸品や家具になることはみなさんご存知のとおりですが、若芽は食用になり、市場に売ることもできますので、重宝な植物です。2011年にラタン(籐)の研修を行ったS村。中でも東北タイに研修に行ったTさんは、熱心にラタンを発芽させ、何百というラタンを植えていました。先日S村を訪れた際にラタンの話になり、村長によるとTさんは今も他の人に自分が学んだことを教えているとのこと。
JVCが推進する魚保護地区の活動ですが、川は村同士の境界になっていることが多く、両岸の村が合意して一緒に管理していかないことには成功しません。ある村では、対岸は村が違うどころか別の県の別の郡に属しますが、そちらの郡行政とも連携しながら両岸の村の対等な参加のもとに活動を進めています。さて、上の写真、遠目ですがお分かりになるでしょうか。橋の前にはJVCのスタッフと郡の行政官。スタッフの荷物を持っています。右手は村の話し合いで使った模造紙でしょう。
前々回、前回にあるように、魚保護地区の先行事例の視察でセコン県を訪れ、受け入れ先の村人と様々交流したJVC対象村の村人たち。もちろん本来の目的の魚保護地区についての意見交換も盛り上がりました。そしてそれも一通り終わり、食事の時間。この時米焼酎(日本で言うところの泡盛、40~45度)の瓶がしばしば出てくるのですが、この村では大きな壺が出てきました。中は白濁したお米のお酒。これは日本で言うところの「どぶろく」です。あるいはマッコリと言うと分かりやすいかと思います。
前回に続いて、魚保護地区の先行事例の視察でセコン県を訪れたときのこと。意見交換が一息ついたところで、女性陣が目ざとくシン(ラオスの伝統的巻きスカート)に目をつけて、「見せて見せて」と話が弾みます。そしてあててみて、色々と聞いています。私はシンのことはあまり分からないのですが、やはり地方によっても民族によっても模様や色使い、織り方など違うそうで、興味津々の方が沢山いました。
魚保護地区の先行事例の視察でセコン県を訪れたときのこと。参加した村人の多くはブルー族の人たちでしたが、訪問先はまた別の少数民族の人たちでした。面白かったのは、ブルー族の参加者たちが、訪問先の村人に「ご飯はなんて言うの?」「牛はなんて言うの?」と盛んに聞いていたことです。そして教わるたびにとてもうれしそうでした。
ある村で村長を待っている間村の人と喋っていた時のこと。おばあちゃんの着ている服が気になります。村の女性、特に中年以上の方のほとんどは、下はシン(ラオスの伝統的巻きスカート)を身につけていますが、上はTシャツなどを着ている人もたくさんいて、それ自体は珍しくありませんが、胸に「Hey, Ho, Let's Go! RAMONES」のロゴ。RAMONESはアメリカの伝説的パンクロックバンドです。
前回、前々回にも登場のP村から、村長と数名が、サワナケートの街に出てきました。村長のご家族が入院したのです。前回書いたように車がはまってしまう雨季の悪路を、なんと7時間かけてバイクで来たとか。しかし話を聞いているとバイクはここには乗ってきていない様子。よくよく聞くとセノーという街に置いてきたそうです。セノーからサワナケートの街まで、最後の30キロは舗装された国道で、もっとも運転が楽なところです。
まずは写真をご覧ください。見事に車がスタックしています。雨季のラオスの悪路苦労自慢?4年振り2回目のラオス駐在、2回目の徒然日記、雨季の悪路にいちいち驚かないし、そんな"ベタ"な記事は載せません。写真に写っている道の整備をしていた村人の助けもあってなんとか脱出、少し進みかけたところであることを思いついた私は、「運転手さん、ちょっと止めて!」。
P村で進めている魚保護地区の活動。ある場所を禁漁にしたり、乱獲につながる道具の使用を禁止したりして資源を守りながら増やす活動ですが、こうした活動で一番大事なのは周知徹底です。知らない規則は守りようがないわけですから。