イラク・ヨルダン現地情報
2003年のイラク戦争から3年が経過しましたが、残念ながらイラクの人々の生活実感は復興からほど遠い状況にあります。そのようなイラクの人々の思いと現状に関する情報を日本の皆さんにお届けし、イラクの現状に対する理解を深めて頂くと共に日本の私たちが今後どのようにイラクに関わるべきかを考える材料として頂くために、メールマガジン「イラク・ブリーフィング」を創刊しました。今後もイラク・ブリーフィングの内容をHP上にも掲載して行きます。
引き続く戦闘と殺戮により、人々の生活は危機に瀕しています。
イラクで活動するNGOの協議体であるNCCI(イラクにおけるNGO調整委員会)はイラクの人々の和解と暴力の終結を求める声明を3月13日に発表していますが、その後も毎日のように引き続く戦闘と殺戮により、犠牲者は増える一方です。
4月2日付けのNCCI週報では次のように深刻な問いが投げかけられています。
2003年のイラク戦争以後、避難民生活を余儀なくされている人々は150万人に達し、人口の26%は栄養失調となり、数万の罪のない民間人が殺され、人口の20%は貧困ライン以下の生活を余儀なくされています。食べ物がなく、医師がおらず、その医師をはじめとした知識層が死の脅迫により国外脱出することになる「頭脳流出」が起き、人々は脅迫と誘拐に怯える日々を送っています。
困難な状況のもとでもこれまでイラク国内で活動を続けて来たイラク人援助関係者もまたこれらの状況の影響を受けています。脅迫を受けて支援の仕事を止めることを余儀なくされる者も出ています。
2004年のファルージャや、ナジャフで戦闘による人道的な危機が発生した時でさえ、イラクの人々が互いに助け合う姿を見ることができましたが、現在はそのような期待も難しく、被害者を救うために残された手段はPRTなど軍隊による人道支援か、子飼いの民兵を通した政治家による救済しかないのか...
このような深刻な事態の中で、NCCIは3月28日−30日に緊急事態への解決策を探るためのワークショップを行い、4月3日に新たな声明を発表しています。そこでは暴力の停止を訴えると共に、最も弱い立場に置かれている人々を救済するために、国際法に基づく人道原則が守られ、その上で積極的な支援調整策が取られるべきこと、これらの活動が保証されるよう、人道スペースが確保されるべきこと(具体的には中立な支援関係者が被害者の救済に当たれるようにアクセスが保証されることや、人道支援関係者の身の安全が図られるべきことなど)や、緊急支援活動のための援助基金が準備されるべきことなどを提言しています。
イラクで人道支援に携わるNGOの一員として、この提言を重く受け止めています。
イラクでは2005年10月に行われた国民投票を経て承認された憲法のもとに12月15日に国民議会選挙が行われました。当初の予定よりは遅れたものの、この議会選挙の最終結果が1月20日に発表されるなど、イラクの政治プロセスは順調に推移しているように見えます。
2月22日午前、イラクの首都バグダッドの北方125kmの街サマッラにある第11代イマームのハッサン・アル・アスカリの聖廟が何者かに破壊された事件をきっかけにして、イラク国内は数日間、騒然とした空気に包まれた。
2005年12月15日に行われたイラク国民議会選挙の最終結果がこの1月20日に発表になり、新たな議席配分の議会のもとで新政府が作られようとしています。
しかし、このような政治シナリオの一方で一向に人々の暮らしは改善されていません。バグダッドの知人によれば、1月24日頃には電力の供給も6時間停電、1時間点灯という具合だったとのことです。夜間12時から午前5時までは外出禁止ですが、夜9時にバグダッドの住民は家にこもって外出を控えているとも伝えられています。
パレスチナの幼女が砂漠で焼け死ぬ
イラク戦争が始まって2年経つ。サダム政権崩壊後、迫害を受けたバグダッドのパレスチナ難民たちは、いまだに行く当てもなく砂漠の難民キャンプで暮している。そんな彼らに不幸が襲いかかった。