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ルウェイシェッド難民キャンプで火災発生

中東 パレスチナ最新情報 中東担当 佐藤 真紀 佐藤 真紀 佐藤 真紀
2005年4月28日 更新

パレスチナの幼女が砂漠で焼け死ぬ

イラク戦争が始まって2年経つ。サダム政権崩壊後、迫害を受けたバグダッドのパレスチナ難民たちは、いまだに行く当てもなく砂漠の難民キャンプで暮している。そんな彼らに不幸が襲いかかった。

JVCが健康診断を実施

2003年8月には、JVCはCAREに協力してルウェイシェッド難民キャンプに図書館を設立。12月まではボランティアを派遣してワークショップなどを行っていた。その後も、サッカーボールを寄付したりしたが、スマイル子どもクリニックの支援があり、2005年、2月14日と15日にかけて日本から5名の医師を送り健康診断を行ったばかりだった。現在ルウェイシェッド難民キャンプには約120名のパレスチナ人がいる(スマイル子どもクリニックのHPを参照)。

UNHCRからの報告

朝の8時に、おそらくは電気系統のショートが元で最初のテントに火がつきついで3つのテントを瞬く間に巻き込んでしまった。その中のひとつのテントにいたアヤちゃんAya Lowai Awni Wahdan(3歳)が死亡。アヤの母親と隣人がやけどを負って重体。5歳になる兄は煙を吸い込んで苦しんでいる。

今までにも火事はあった。しかし、死者が出たのは初めてだという。このキャンプのパレスチナ人は教育水準も高く、テントの生活を少しでもよくしようと、電気製品を改良して使っていたが、そのひとつが火花を出したようだという。

すでに2年経っても解決できないことで怒りは国連のスタッフへと向けられている。アヤちゃんの死によって彼らの恨みが結晶化してしまった。UNHCRのヨルダン事務所代表のステン・ブロウニーは以下のように述べた。

「おこるべくして起きたと思います。私たちは、彼らの外の世界との橋渡しをしているが、外の世界は彼らを無視している。私はいつも自問自答しています。どうしてもっとできないのか。私たちは難民問題を解決するのが仕事なのに。しかし、私たちはどこかの国に頼っています。イデオロギーや政治的な行き詰まりを打ち破ってくれる国を探している。今まで、そのような国はでてこない。一時的にも彼らを地獄のような環境から連れ出そうという国もない。2003年に、例外的にヨルダンが受け入れた384名だけである。私たちは困難に挑戦しているのです。私たちは人道的なケースとして嘆願してきたが、パレスチナ難民を取り巻く政治問題は難攻不落である。彼らは、どうして、他の難民と同じように扱ってもらえないのかと聞いてくる。私には彼らを満足する答えが見当たらないのです。」
早速加藤隆先生に連絡したところ以下のようなメールをいただいた。

「ルウェイシッド難民キャンプの火災で3歳の女の子が亡くなったと知って、本当に悲しい気持ちで一杯です。私が健診させていただいた中によく似た名前の女の子がいましたので、物凄いショックを受けました。カルテに記入していただいた文字はAyah Leag Awni 2.5years Height78cm, Weight11.5kgでミドルネームのスペルが少し異なりますが、可能性が高いかもしれません。健康上は特に明らかな問題はなかったと思います。本当にいたたまれない気持ちです。「亡くなった幼い子供はけがれが全くないので、天国に召され、そこでは天使がめんどうをみてくれる」と聞いたことがあります。一生懸命Ayah(アヤ)ちゃんのためにお祈りしようと思います。」

その後、JVCの事務所にそのときのカルテがファクスされてきた。私が写した写真を探してみると、3歳ぐらいの女の子が同じカルテを持っている写真が見つかった。とってもニコニコしていた子どもだったのではっきり覚えていて、こんな小さな子どもがカルテを持っている姿が面白くってシャッターを切った写真である。写真からは、皮肉なことにはっきりと彼女の名前が読み取れた。残念でならない。そして、アヤちゃんを失ったご家族の方の気持ちを思うといたたまれない。

早く、難民問題が解決するように私たちは努力しなければいけない。なぜならば、この戦争がなければ彼らは、家を追われてテントで暮らす必要などなかった。戦争を支持した国は責任がある。

2003年にも火事があったが幸い死人はいなかった。2003年にも火事があったが幸い死人はいなかった。
アヤちゃんは1才のときに戦争で逃げてきたことになる。愛くるしい瞳が忘れられない。アヤちゃんは1才のときに戦争で逃げてきたことになる。愛くるしい瞳が忘れられない。