2月22日午前、イラクの首都バグダッドの北方125kmの街サマッラにある第11代イマームのハッサン・アル・アスカリの聖廟が何者かに破壊された事件をきっかけにして、イラク国内は数日間、騒然とした空気に包まれた。
シーア派の聖地とされる聖廟が爆破されるという事件だけに、すぐさまこれに対する抗議デモが行われ、平和的な抗議行動に留まらず、スンニ派への報復が行われ、各地でスンニ派モスクが破壊されたり、街中での爆破事件等、26日までの間に引き続いた戦闘によって、165名以上の死者(27日現在、BBC報道)が出たと言われている。
この間、3日間に渡って首都バグダッドでは昼間の外出禁止令が出されるなど、イラク戦争後でも異例の事態となり、イラク国防相は「内戦の危機」を口にする事態となった。

一連の戦闘の引き金となったきっかけがシーア派の聖廟の爆破事件だけに、報道でも「シーア派とスンニ派の宗派対立」を懸念することばが踊った。それらが懸念されるのは無理のないことだが、しかし、聖廟破壊への抗議を信者に呼びかけたとするシーア派最高権威のシスターニ師にしても、暴力行為を回避するように訴え、当初、報復行動を示唆する声明を発表したムクタダ・サドル師は自らの率いる民兵に対してスンニ派モスクの警護と破壊されたモスクの清掃を指示するなどして、危機的な事態を回避し、収拾する方向に動いた。これらの指導者の行動が、額面通りに受け止められない点があるにせよ、対立を回避する手立てを取っていることは事実である。
あるバグダッドの住民(シーア派)と電話で25日に話をしたところ、彼もムクタダ派の民兵がスン二派モスクの警護を始めたり、襲撃で壊されたスンニ派モスクの清掃を始めていると話してくれた。
メディアは事実の中でも目立つ出来事を捉えて報道するので、ひとつひとつの事実はうそでないにせよ、暴力のひどさが印象に残ってしまい、宗派対立の深刻さがイメージとして残ってしまう恐れがある。
今回の発端となったモスクの爆破事件が、イラクを不安定にすることで自分に都合の良い状況を作り出したい勢力の仕業によるということは言えると思うが、軽々しく宗派対立の話に乗せられるのもどうかと思う。
根本原因が宗派対立にあるかどうかが定かでない段階で話に乗せられてしまうことは、宗派対立を口実にして内部対立を煽ることにより混乱を生じさせたい勢力の思う壺でしかない。建前の話を本気にしているうちにそれが本当のことになってしまうことの方が怖い。
暴力行為に走る原因を慎重に吟味してみる必要があろうかと思う。単純に宗派対立が原因であると割り切る前に、宗派対立を建前としつつもっと世俗的な動機付け(金銭的な利益、あるいは不満、権力闘争など)が真の原因として背景にあるのではと疑う必要がある。
電力、水などの生活基盤の復旧が遅れ、12月から石油製品が値上げされたことによって各種物価が大幅に上昇していて経済的な困窮が深まる一方で、権力に近い位置にあるなどして利益を得やすい立場の人々はより豊かになるという経済的格差の拡大もまた背景にあると思われる。
治安維持が保たれず、何でも自由にできる状態にあって手元に武器があれば、普段から不満を溜めている人々の自制が効かなくなって暴れるということはどこでも起こり得ることではないか。そのことと、シーア、スンナに直接の関係があるかどうかは慎重に見極める必要はないだろうか。
幸いにも、バグダッドやバスラなど支援先の各地の医師からの連絡を見ても、部分的には緊迫しながらも、全体的には事態は沈静化して来るのがわかった。(時間はいずれもイラク現地時間)
・26日午前9時過ぎ、バグダッドのA小児総合病院の医師からのメール
「一般的な状況は落ち着いて来ているので心配ない」
・27日午前零時半過ぎ、バグダッドのB小児総合病院の医師からのメール
「夜中過ぎの病院でメールを書いています。26日の朝から救急車に乗車して出勤して来て今まで勤務に就いています。と言うのも(バグダッドはずっと外出禁止令なので)他に自家用車を運転して来られる医師もいないからです。今までのところは私たちは大丈夫です。事態がすぐに沈静化することを期待しています。」
・27日午前1時半頃、同じ医師から
「まだ働いています!」
・27日午前8時過ぎ、バスラ総合病院の医師からのメール
「おはようございます。状況はメディアで伝えられるほどは悪くない。外出禁止令もないので、生活の様子は普通で、こちらの状況は以前とそう変わりない。私たちはみんな大丈夫だ。ありがとう。ご心配なく。」
2006年2月28日 記