パレスチナ最新情報
今日は、一つの疑問について、研究者でもある一個人として考えてみたいと思います。その疑問とは、「イスラエルにとってガザ地区とは、いかなる存在なのか」、というものです。
1つよく言われているのは、「イスラエルはガザにはもはや安全保障以上の関心は持っていない」ということです。これは、ガザからのロケット弾やトンネルを通じた武装勢力の進入が、ガザ周辺に暮らすイスラエル人に脅威を与える可能性をなくすための安全保障上の措置を意味します。ガザ周辺の住民の政府に対する風当たりは強く、それに対して政府と軍は、彼らの安全を確保することが強く求められています。
しかし他にも、イスラエルにとってのガザの意味として見逃してはならないのが、イスラエルとヨーロッパ諸国やアメリカなどイスラエルを政治的・軍事的に支えてきた国との関係、およびイスラエルの「西洋的で近代的な国」という自己イメージとの関係です。この2つは相互に関連しており、イスラエルにとってガザがいかなる存在なのかを理解する鍵となります。以降、この2つについてお話ししたいと思います。
ガザは今どうなっているのか~ガザ攻撃1周年・記録映画とシンポジウムの集い~
7月20日、東京大学本郷キャンパスで行われたイベントにパレスチナ事業現地調整員の金子が登壇し、ガザの現状について報告しました。以下、イベントの全動画を掲載いたします。ぜひ、ご覧ください。
*金子の登壇は、現地報告では33:33頃から、トークは1:55:33頃からです。
ガザ紛争から1年~国連はなぜ解決できないのか~
7月25日、東京ウィメンズプラザホールで行われたイベントにパレスチナ事業東京事務所スタッフの並木が登壇いたしました。以下、イベントの全動画を掲載いたします。ぜひご覧ください。
*並木の登壇は、第2部のパネルディスカッションからです。
第1部 高橋 宗瑠さん講演
第2部 パネルディスカッション&キャンドルウォーク
イスラエルの被害を見た後で、今回の現地だよりでは報告書でも大部分を占めるガザ側の被害について触れたいと思います。当時ガザで何があったのか、全てがブラックボックスの中で行われた強大な暴力が、人々に何を及ぼしたのか、報告書がすべてを語るわけではありませんが、その多くを知る事が出来ます。
2015年6月24日、国連人権委員会の独立調査団は、2014年のガザ戦争における人権・人道法違反に関する調査報告書(人権委員会決議S-21/1に基づく)を発表しました。2014年7月8日に始まったガザ戦争の開戦から一年を迎える前にこの調査報告書が出たことは、戦争被害者への鎮魂と、今後の戦争回避に向けた国際社会の取組みとして、大変有意義な一歩だと思います。JVCパレスチナ事業でも、今回からの現地便りで数回にわたってこの報告書の概要をお伝えし、また一年間のガザの復興を取り巻く状況についてもお伝えできればと思っています。
同報告書の調査対象期間は、今回の戦争のきっかけと言われるユダヤ人少年3人の誘拐事件が起きた翌日、2014年6月13日から、停戦が結ばれた同年8月26日までで、調査は、イスラエル側・パレスチナ側の被害者および目撃者等280人に行われたインタビューの記録と、同じく500人から提出された証言レポート、及び国連関係機関、関係政府、非政府組織等から提供された広範囲かつ多様な関係資料をもとに行われ(報告書5頁)、国際人道法・人権法上違反が行われているかどうかが分析されています。
イスラエル・パレスチナ両被害者からの丁寧な聞取りをもとにしたナラティブベースの報告書には、個々の人々にいったい何が起きたのかを詳細に物語っており、被害数値だけでは見えてこない戦争の暴力性とその悲惨さを伝えています。
また、報告書を読み進める上で、最後まで調査団がイスラエル及びパレスチナへの入域・入国を許されず、調査が限定的であったことも考慮する必要があります。国連からの再三にわたるイスラエルへの調査団受け入れ要請に対し、イスラエル政府は最後までそれを認めませんでした。こうしたイスラエルの行為は、占領者、被占領者の不均衡なパワーバランスを白日に晒し、今回の戦争犯罪を問うこと以前に、イスラエルがパレスチナの占領者としてパレスチナの保護を放棄し、更に言えば、イスラエルの国民への保護責任をも放棄していることを浮き彫りにしていると言えます。それを踏まえて、まずイスラエル側の被害についてみてみようと思います。
2006年から開始した占領下の東エルサレムでの学校・地域保健事業は、今年で9年目を迎えました。これまで皆様からのご支援によって、この事業は支えられてきました。あらためて御礼申し上げます。
本事業では、国際法に違反して建設された高さ8メートルのコンクリート壁やイスラエル入植地によってコミュニティーが分断され、パレスチナ人住民の健康・教育などに対する権利が侵されるエルサレムで、学校や地域社会施設への支援を通じ、人々の健康を守り健康を促進させるための仕組みをつくり、発展させることを目標としています。
現在は、学校、幼稚園、地域社会施設などの協力を得て、学校生徒や教師へのトレーニング、子どもたちや保護者への健康教育と健康診断、地域青年たちへの救急法トレーニング、孤立した村での巡回診療などを実施しています。この事業によって、トレーニングを受けた子どもたちや教師たちが自発的に学校内外で活動するようになり、健康診断、巡回診療、サマーキャンプを通じ、パレスチナ人住民の健康管理と健康に対する意識向上にも貢献しています。
以下は、2013年9月から2014年9月までの活動に関する、簡単な成果報告になります。引き続きご支援のほど、どうぞ宜しくお願い致します。
2015年4月24日金曜日、私はパレスチナ自治区・ヨルダン川西岸の中程にある、「ナビー・サーレフ(An Nabi Salih)」という小さな村にいました。
人口はたったの500人。ガソリンスタンドと小さなスーパーマーケット、あとはのどかな景色の中に民家が立ち並ぶだけのこの村を訪ねたのは初めてです。目的は、毎週金曜日に行われるデモを見ることでした。
こんにちは、パレスチナ事業担当の並木です。
今回は、パレスチナへ出張した際に出会った、ある学校の先生のお話をしたいと思います。
日差しが強く感じられる4月のある日、東エルサレムの男子校を訪ねた時のことです。学校の環境整備を自ら行う学生たちの活動を視察に来た、私たち日本人を前に、一人の体育教師が堰を切ったように話してくれました。
昨年の夏の戦争停戦から9ヶ月が過ぎました。戦争中とその後、3ヶ月間の停止に追い込まれたガザ地区北部に位置するジャバリヤでの「子どもの栄養失調予防事業」は2014年10月以降から再開し、多くの寄付者の皆様に支えられながら、また現地のスタッフ・ボランティアさんの意志を尊重しながら続けられています。
こんにちは、パレスチナ事業担当の並木です。
JVCのプロジェクトを運営する仲間として知り合い、今では友人として付き合っているガザの人たちを、先日のパレスチナ出張で訪ねることができました。みんなが無事かどうか、毎日気が気ではなかった2014年夏の戦争から、8ヶ月も経過していました。
ガザは、アフリカとアジアと地中海をつなぐ交易地・中継地として、4000年以上の歴史を持ち、今でも様々な遺跡・遺物が発見されています。英国委任統治時代までは、カイロとハイファとベイルートをつなぐ鉄道も、ガザを通っていました。