イラクウォッチ
11月12日深夜、イランとイラクの国境地帯で大規模な地震が発生し、死者約450人、6,700人以上が負傷しています。
米地質調査所(USGS)によると、震源はイラク北東部ハラブジャ南方で、震源の深さは23キロです。パキスタン、レバノン、クウェート、トルコでも余震が観測されました。
イラクでは6人が死亡し、500人以上が負傷しています。イラクのアバディ首相は、声明で、政府のチームに災害への対応を指示したと発表しました。イランのハッサン・ルハニ大統領も、今日火曜日に被災地を訪れる予定です。トルコのビナリ・ユルドゥルム首相は直ちに支援を求めました。
JVCのパートナー団体のINSAN事務所は、震源地のスレイマニアから西に約200km以上離れていますが、震源地のスレイマニアにはINSAN代表のアリーさん、元INSANスタッフのインティサールさんが住んでいます。特にインティサールさんが住むKalarは震源地から約40kmのところにあり、地震の影響で深夜2時まで外で避難しなくてはいけませんでした。みな、日本の地震のことを連想し、東日本大震災の時に震度いくらだったかとか、日本人はこのような地震に対して多くの経験をしているとか、話題が日本のことにもなりました。
震源地のスレイマニアはセメント工業が盛んで、現地のビルもブロックをそのまま積み上げた建物が多いですが、アリーさんは「ここは地震がないので大丈夫、大丈夫」と言っていました。よって、スレイマニア市内では下記のように崩壊したモールもあります。
https://www.facebook.com/nrt.arabicc/videos/1985889758340188/
イラクとイランの間にはザグロス山脈がはしっており、この山脈はユーラシアプレートとアラビアプレートの衝突で形成された山脈です。イラン北西部のアゼルバイジャンから南東部に走り、延長約2000km、幅165~320kmで、いくつもの小山脈が並行にはしりそれらの間は細長い河谷平野がこれまた並行に分布しています。イラク出張の際、ドバイやドーハを経由し、イラク上空が通過できないので、この国境周辺を通ってイラクへ入国しています。今回、ここが震源となりました。
It's our destiny from one hand military operations and in addition our god is punishing us as well soooo....
普段は"厳格な"ムスリムではない彼ですが、車の運転時には常にコーランをおいています。まだ軍事作戦が行われているイラクにおいて、この地震を「罰」と表現しました。
アリーさんは12月7~15日の予定で来日します。下記の日程でイベントを実施しますので是非ご参加下さい。
https://www.ngo-jvc.com/jp/projects/iraq-iraqwatch/2017/11/20171007-iraq-peace.html
※この記事にあるイベントは、当初は10月7日・8日の開催を予定していましたが、12月9日・10日に変更になりました。ご了承ください。(11月7日更新)
日頃、ちょっとしたことで"イラッ"とすることはありませんか。
そんな時、あなたはどう対処しますか。
「時間が経つのを待つ」「相手の話を聞く」「自分の気持ちを伝える」、
どれも簡単とはいえません。
"平和の創り方ワークショップ"では、そんな身近なことを糸口に、
"平和ではない状態を引き起こす原因のひとつ=暴力"を考え、解決への鍵を探っていきます。
昨年に引き続き、イラクのNGOである「インサーン」のスタッフ2名が来日!
イラクで子どもたちを対象に実施している非暴力のワークショップについての報告会も実施します。
JVCがイラク現地NGOであるINSANと活動しているキルクーク市にて、16日未明に戦闘が起きました。
9月25日、イラク政府からの分離独立の是非を問う住民投票(投票の結果、9割以上が独立に賛成)が、クルディスタン地域において実施されました。クルド自治政府が、トルコやイラン、シリアの近隣国や米欧の反対を押し切って実施した独立の是非を問うこの住民投票は、JVCのパートナー団体であるINSANが活動するキルクークなどの係争地でも実施されました。この住民投票に反対するイラク中央政府は、この投票そのものの無効化を要求しました。さらに経済制裁などの圧力を強め、クルド自治区からの国際線もストップしています。JVCが11月に予定していたINSANスタッフの招聘について調整を進めていた矢先のことでした。
16日、イラク軍は油田、発電所、基地など主要施設を制圧しました。軍は市街地にも入り、クルド自治区の経済的な生命線である原油生産拠点(埋蔵量は 1,150 億バレル(世界第 3 位)イラク国内で最大)を奪い、締め付けを強める様子です。局地的な戦闘の情報はありますが、クルド自治政府の治安部隊であるペシュメルガは抵抗をせずに後退した様子です。この衝突を受け、多くの市民がバスなどでキルクークを離れクルド人自治区の中心都市アルビルなどへ向かっていました。INSANの中にもキルクークを離れたスタッフがいます。
翌日INSANの代表であるAreeさんと連絡が取れ、スタッフの安否確認が出来ました。普段、「scared」という言葉を使わない彼が「It was hard night yesterday, scared of attack」と言っていたことから緊張した状況が伝わってきました。他のスタッフからも「It was a very bad day」と連絡がありました。先月、イラク出張時にINSANのスタッフであるLamiaaさんが「この後(住民投票)、何か起こる気がする」と言っていたのを思い出しました。(彼女は具体的な状況を想定していなかったと思いますが)
現在、イラク軍は既に自治政府が実効支配していた係争地のほぼ全域を制圧しています。しかしクルド自治政府の治安部隊であるペシュメルガが再び奪還の準備を進めているとの情報もあり予断は許せない状況です。キルクークの状況については、引き続きイラク事業チームでウォッチしていきます。
【以下、11月21日追記】- NCCIからの声明
- http://www.ncciraq.org/en/
- NCCIとは
- NCCIは開発の促進、人道的ニーズ対応、イラクの権利を尊重するためにNGOの行動を調整するイラクのネットワーク組織です。JVCVCも参加団体です。
イラク北東部に位置するキルクーク県は、従来アラブ系・クルド系・トルコマン系・アッシリア系など多様な民族が共存していましたが、豊富な石油資源を有することなどから1980年代にフセイン政権下で「アラブ化政策:アラブ系住民を外部から移住させ、非アラブ系住民を追放」が進められ、民族間に緊張関係が生まれ治安が悪化しました。
現地NGOであるインサーン(アラビア語で「人間」の意味)は、人々の間の緊張を和らげ、平和な地域社会を取り戻すために2008年からキルクーク市を中心に活動をしています。
2009年、JVCはインサーンと協力してキルクーク市での「子どもたちと創る平和ワークショップ」を開始しました。キルクークでは、子どもたちは民族別の学校に通うため、他の民族の子どもたちと出会ったり話したりする機会が限られています。お互いを知り合い、交流する場を作るために、各校の校長先生に協力を依頼し、各学校より8歳から12歳の参加希望の子どもたちを選出してもらいました。各地区の長老や責任者(自治会長のような)、宗教指導者らにも協力を取り付けました。治安が悪く爆破事件等が頻発するために、バスによる送迎も必要でした。
ワークショップは、週に2回程度で期間は約3週間、各回30-60人程度の子どもたちが参加しました。平和構築や人権に関する専門性を持つインサーンスタッフがワークショップ全体を監修し、美術の専門家らがファシリテーターとなり、各回のプログラムを進行しました。内容は、平和や人権をテーマに絵を描いたりアート作品を作ったり、平和や人権に関する歌を歌ったり、寸劇を演じたり、ビデオを見て意見を出し合ったりしました。最終日には、地域の方々を招待して発表会も行ないました。
地域の人々の中には、当初このような取り組みに懐疑的だったり、反対したりする人もいたのですが、回を重ねるごとに参加希望者も理解者も増え、2012年までに5回のワークショップを実施し、延べ約240人の子どもたちが参加しました。その後も継続が望まれていたのですが、資金不足により中断を余儀なくされました。
2014年、インサーンとJVCが「平和ワークショップ」の再開を計画していたところ、武装組織ISによる攻撃が激化し、イラク国内外にたくさんの人々が避難する事態になりました。インサーンとJVCは、キルクークに避難してきた人々に対し食料や毛布を配布する緊急物資支援を実施しました。
そして2015年、それまでの「平和ワークショップ」の経験を生かして「平和のひろば(Peace Yard)」の活動を始めました。「平和ワークショップ」で実施したアート作品の製作や平和に関するディスカッションなどに加えて、戦闘によるトラウマを抱えた子どもたちに対する精神科医によるケアを実施しています。1回あたり約3週間の活動をこれまでに3回実施し、5歳から14歳の子どもたち約170名が参加しました。
2017年8月に、次回のプログラムを予定しています。
イラクでは、2003年のイラク戦争以後も宗派・党派対立および過激派の攻撃などにより厳しい情勢が続いてきましたが、2014年以降、過激派組織「イスラム国」(IS)が台頭、人々の暮らしは更に混乱しています。現在も約300万人以上の人々が家を追われ避難を余儀なくされています。国連機関等も避難民に対する支援を実施していますが、資金不足により支援の規模を縮小しています。
7月3日(日)に、トークイベント「国際協力活動を目指すあなたへ~紛争地での現場からイラクでの活動を例に~」が開催されました。当イベントは、これからエイドワーカーやNGOスタッフなど、国際協力活動を目指す人たちに向け、実際に国際協力活動を職にしている人は、どういう経緯や経験からそれらの職に至ったのかを学ぶという趣旨のもと行われ、これから国際協力活動に携わっていきたいと考えている人たちがJVC東京事務所に集まりました。
(前回より続く)
私たちは新しい生活を始めましたが、夫はイラクを出ることを決めました。それは簡単ではなかったのですが、当時タクシーの運転手をしていた夫の兄弟が、他のアラブ諸国からイラクにやって来た人たちと出会ったことが契機になりました。夫は、その人たちと一緒に1994年にイエメンに渡り、その10か月後、私たち家族も後を追いました。渡航許可や航空券に必要な40万イラクディナールを工面するために、車や家具など持ち物すべてを売り払わなければなりませんでした。
(前回より続く)
私が生まれた1966年、この国はバース党政権下にあり、私たちクルド系の家族は政府から数々のいやがらせを受けていました。クルド系の名前をつけることも禁止されており、学校ではクルド系であることを隠していたことを覚えています。私の名前はアラブ系の名前で、それは私にとって大きな問題ではないのですが、現在、クルド地区の検問所で確認を受ける時に「なぜアラブ系の名前なのにクルド系なのか」と聞かれます。アラブ系の人々は、治安上の理由から検問所を通ることができないからです。
紛争や貧困によって苦しむ中東やアフリカから欧州への難民流入が続いています。死者も数千人に達し、欧州連合を中心に対策を講じていますが、加盟国間での意見は一致する様子はありません。難民に対する受け入れを反対する人々による暴力行為も発生するなど不穏な状況が続いています。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ヨーロッパを目指す難民のうちイラク人は10%を占めます。
JVCの現地パートナー団体INSANの元スタッフであるインティサールさんは、2009年よりJVCとINSANがイラク中北部の都市、キルクークで実施してきた「子どもたちとつくる平和ワークショップ」の中心的なスタッフでした。彼女自身が難民であった経験を織り交ぜながら、現在イラクが抱える危機を次のように話してくれました(聞き取りは五月中旬頃)。
8月末よりイラクボランティアチームが実施していたクラウドファンディング(インターネット募金)プロジェクト「紛争で深刻なトラウマを抱えるイラクの子どもたちに専門治療を!」は、10月末に支援募集期間が終了しました。おかげさまで目標額の60万円を超え、681,000円の支援が集まりました。たくさんのお気持ちを寄せていただき、本当にありがとうございました。
