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自らの難民経験から(3)
~インティサールさんが語る難民生活~

JVCイラク事業チーム補佐 中野 恵美 イラク事業担当/アフガニスタン事業担当 池田 未樹
2016年8月 9日 更新

前回より続く)

私たちは新しい生活を始めましたが、夫はイラクを出ることを決めました。それは簡単ではなかったのですが、当時タクシーの運転手をしていた夫の兄弟が、他のアラブ諸国からイラクにやって来た人たちと出会ったことが契機になりました。夫は、その人たちと一緒に1994年にイエメンに渡り、その10か月後、私たち家族も後を追いました。渡航許可や航空券に必要な40万イラクディナールを工面するために、車や家具など持ち物すべてを売り払わなければなりませんでした。

しかも、当時はバグダッドからイエメンへの直行便はなく、まずバスでヨルダンに行ってから、イエメン行きの航空機に乗りました。4人の子どもたちを連れイラク国境を越えてヨルダンへ出るのは、たいへんな旅でした。 ようやくイエメンにたどり着き、村での厳しい暮らしが始まりました。夫は教師の職を得ることができたのですが、水も電気もなく、そこらじゅうに虫やヘビやサソリがいました。これまでのように、政治的な問題や宗教的な問題もありました。
しばらくして、首都であるサナアに移り、子どもたちを育て、働くために再びたいへんな思いをしました。どこに行っても問題はあり、生きていくのは易しくはないということを痛感し、2003年以降(イラク戦争以後)、イラクへ戻ることを考えるようになりました。親戚たちの「状況はよくなってきているよ。戻ってきたら?」という勧めもあり、2008年にイラクに戻りました。
そして紛争は、今もなお続いています・・・。

パートナー団体の代表INSANのアリー氏とインティサールさんパートナー団体の代表INSANのアリー氏とインティサールさん
インティサールさんからプレゼントされたイラクの服を着てインティサールさんからプレゼントされたイラクの服を着て