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| 期間 |
1991年〜1994年 |
活動分野 |
難民 |
| 地域・対象 |
首都プノンペン、バッタンバン県 帰還難民 |
| 関連団体 |
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概要
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■難民の帰還に使われる車両を点検する カンボジア人のメカニックと日本人の メカニック(右から2人目) |
1991年、長い内戦によってタイ・カンボジア国境に逃れていた約36万人のカンボジア難民が、和平が進むカンボジア国内に帰還することになりました。JVCはUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の難民帰還プロジェクトと、帰還者に400日間保障される食糧配給を担当するWFP(世界食糧計画)のプロジェクトに、輸送に使われる大型車両の整備・修理というかたちで関わることになりました。プノンペンの技術学校内にある修理工場と、新たに設置したバッタンバンの修理工場の2ヵ所で実施し、帰還プログラムが終了する94年まで活動を行いました。
バッタンバンでは、1992年7月にオープニングセレモニーが行われました。活動が始まると、次々と故障した車両が運び込まれ、多い時には月100件を超える修理依頼が続きました。周辺の道路事情が大変悪いため、ショックアブソーバーの磨耗、故障が多く見られました。バッタンバンの工場だけではなく、シェムリアップやシソフォン(難民の一時受け入れのレセプションセンターがあるところ)へは、出張サービスを行い、その他事故の際のレスキューも行うなどして、修理総数は2年間で1900ケースに及びました。
このプロジェクトのためにのみ設立されたバッタンバンの工場は、契約終了とともに閉鎖、その敷地と建物は、もとの所有者のハイドロジー(水質関係の政府機関)へ、そして多くの修理用機材は、UNHCRの意向により、北西部の橋や道路修復に携わるデンマークのNGOに移譲されました。
背景
1991年10月23日のパリ和平協定以降、シアヌーク議長を代表するSNC(最高国民評議会)代表部に対して多くの国は国交を回復し、外交使節団をプノンペンに派遣しました。NGOの数も90年以降、急激に増えました。
92年3月からUNTAC(国連カンボジア暫定行政機構)が活動を開始し、国境からの難民帰還も始まりました。この時期から、それまでの国境の難民支援に偏っていた西側諸国、国連の援助がカンボジア国内の復興計画に振り向けられるようになり、同年4月には国連事務総長がカンボジア復興計画とそれに必要な資金、6億ドルを国際社会にアピールしました。しかし、その内訳は帰還難民支援が中心で、カンボジア人の大多数が生活する農村の基盤整備にはあまり関心が払われませんでした。(JVCブックレット「市民として関わるカンボジア」より)
理由
1986年から、JVCがカンボジア国内でカンボジア運輸省と協力し実施してきた、自動車整備技術者の養成プロジェクトが評価され、UNHCRから難民帰還プログラムへの協力を依頼されました。また、JVC自身がタイ・カンボジア国境の難民支援からはじまり、難民が出ない・もどれる地域づくりをめざし国内での活動を展開してきた経緯があり、この難民帰還プログラムへの参加はJVCの活動の節目を迎えることになりました。
目的
車両の整備・修理と食糧配給活動を通し、カンボジア難民帰還に支障がでないよう進める。
結果
1994年1月末、JVC帰還難民プロジェクトは終了。2年間で、1900件の大型車両の整備・修理を行いました。また、活動を通して技術学校の職員が修理技術および運営管理について自信をつけ、この後の技術学校自立運営に大きく影響しました。
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