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| 期間 |
1988年、1993年、
1999年、2000年 |
活動分野 |
政策提言 |
| 地域・対象 |
カンボジア政府 |
| 関連団体 |
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JVCは、日本とカンボジアの国交が再開されていない1980年代初頭から活動を開始しており、様々な場面でカンボジアの人たちの声を日本に伝える重要な役割を担ってきました。その例を、いくつかここにあげてみます。
1988年、『NGOが見たカンプチア』(栗野鳳監訳、連合出版)翻訳・出版
国際的に孤立させられたカンボジアに人道支援を促す提言活動の一環として
概要
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■「NGOが見たカンプチア」
エバ・ミシリビエッチ著、
栗野鳳監訳 出版:JVC
発売:連合出版(絶版) |
1987年、当時のカンボジア国内の情勢をNGOとしての実態調査と経験を踏まえてエバ・ミシリビエッチ氏(当時、NGOスタッフ、現CDRI:カンボジア開発研究所所長)が本書を記し、「国際的な弱いものいじめ」からカンボジアを救おうと、世界に呼びかけました。それに連動し、日本でも本書を翻訳し日本政府及び日本社会にむけアピールを行いました。諸国政府と国際社会に向けたアピールの要旨は、次の4点です。
- 政治的考慮から切りはなして、再建・開発援助を供与すること。
- 集団殺害行為に責任があるクメール・ルージュ指導者に対するあらゆる形の支援を撤廃すること。
- タイ・カンプチア国境地帯の事態と避難民の苦境を解消すること。
- 新しい外交的イニシアティブを発揮する、交渉による政治的解決のためのあらゆる努力を支持し促進すること。
背景
「この本は、生まれるべくして生まれた、と言うことができる。カンプチア国内、あるいは、タイ・カンプチア国境地帯でカンプチアの人々のために働いているいわゆる西側の民間団体関係者が、共同の意志を持って、この本を生み出したのである。その経緯は本文を読まれれば明らかであるから、ここに繰返すことを差しひかえ、私は次の点を強調したい。すなわち、民間団体関係者がこの本に盛りこまれているような、ときには高度に政治的な主張や発言をあえてすることは、むしろ稀なことである。黙々と、自らの判断にのみ従って、人々のために適切と考える仕事に専念するのが常である。しかし、現在のカンプチアの実情に接して、しかも多くの団体が数年に渡って活動してきている経験の積み重ねもあって、もはや黙っていることができない、黙視することはかえって人権や正義にもとるおそれがある、と感じてこの行動に踏み切ったのである。」("日本語版刊行にあたって"日本国際ボランティアセンター顧問(当時)栗野 鳳)
理由
当時、国際的に孤立させられたカンボジア国内の惨状を国際社会に伝え、早期の政治的解決と人道支援の必要性を訴えた。
目的
日本政府・社会に向けた提言活動を通し、カンボジア国内に対する人道援助を実施することと、カンボジアの人々を長く苦しめている内戦を終結させるよう政治的解決への努力を促すことが目的です。
結果
国際的に孤立させられていた1980年代からNGOがカンボジア国内で活動していたことを評価され、カンボジアの復興や開発を討議する国際会合(ICORC:復興国際委員会、CG会合:カンボジア支援国会合)で、NGOの発言や提言が重視されるようになりました。
※用語説明>カンプチア(Kampuchea):日本語では「カンボジア」と表記するのが一般的であり、一部では「カンボディア」という表記もされている。これらは英語のCambodiaの邦訳である。「カンプチア(Kampuchea)」は原語の発音により近いカナ表記(英語ないしローマ字表記)と見なされるが、近代初期いらい、フランス語ではCambodge、英語ではCambodiaとされてきた。この本の原書では概ねKampucheaで統一されており、邦訳においてもカンプチアに統一することにした。
1993年、日本のカンボジア向け食糧増産援助への提言 「ストップ,危険な農薬援助」
概要
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| ■ストップ農薬キャンペーン 冊子 |
1992年9月、カンボジアで農業関係の活動をしているNGO、国際機関の間で日本政府による農薬関連の無償援助が騒がれ始めました。これは、食糧増産援助のために農業資機材を無償で供与するもので、相手国政府はそれを農民に払い下げ、現金収入とできる援助です。これが、カンボジアで問題視されたのは、この時に供与される5億円分の資機材の中に不必要な農薬が含まれていた点でした。カンボジアの水田は、害虫の数に対する天敵の数が多く生態系のバランスが保たれているので、ここに農薬を投与すると当然バランスが崩れ、農薬を投与し続けなければならないといった事態が起きることや、食料となっている水田の魚や蛙、野草などが汚染されること、援助実施の前の環境アセスメントが行われていない等の問題が指摘されました。この援助に関して、カンボジアで活動するNGOはプノンペンで会議を重ね、現地政府の農業省や駐カンボジア日本大使館に対しては農薬援助の一時停止などの申し入れを行うなど様々な抗議行動を行いました。また、日本では、カンボジアに関わるNGOの他、かねてから農薬問題や環境問題に取り組んできた多くの市民団体がこれに関心を持ち、それぞれの立場で外務省や国際協力事業団(JICA)を訪れ、事情を聞くとともに、現地の実情を訴えました。また、この問題を広く訴えるために、1993年2月27日に、シンポジウム『日本の農薬援助とカンボジア問題』を東京で開催し、パネリストとしてNGOや市民団体からだけでなく、外務省経済協力局無償資金課主席事務官にも参加いただき、公開討論を行いました。この時の報告は、JVCブックレット「ストップ!危険な農薬援助〜カンボジア社会に、今、何が必要か〜」にまとめられています。
背景
日本政府が、1992年、和平プロセスが進み日本との国交も再開も間近なカンボジアへの本格的な途上国援助を20年ぶりに再開し、その一環として無償の食糧増産援助が実施されました。その中には、1億円相当の農薬も含まれていました。
理由
日本政府による危険な農薬援助が、カンボジアの農業や環境、人々の健康や経済に悪影響を及ぼすことが懸念されました。
目的
危険な農薬援助を止め、その代わりにカンボジアの農村の実情に合った生態系をまもり自給できる農業および農村開発を支援するよう提言しました。また、既に国内に流通している農薬の安全管理システムづくりをするようカンボジア農業省に提言し、その作成過程にNGOも関われるよう呼びかけました。
結果
日本の外務省が、1993年度からのカンボジアへの農薬援助を見合わせ、その後も再開はしていません。また、カンボジア農業省と環境省が、農薬管理のための危険農薬リストを作成しました。
1999年、自然資源に依拠する人々の生活基盤を脅かす土地の私有化促進をねらった「土地法」改正への提言
概要
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■「Where Has All the Land
Gone ?
Land Rights and Access in Cambodia」冊子 |
1992年に進められた土地法の改正が、自然資源に依拠する人々の生活基盤を脅かすことが懸念されたため、翌年3月に開かれた世銀と日本政府が主催するカンボジア支援国会合で問題点を指摘し、このままの成立を見送り住民の声を反映させた土地法にするよう、提言しました。また、同時期にシンポジウムを開催し、パネリストとして招待した世銀や日本政府の代表の方もいる中で、土地法の問題を指摘しました。この法案がそのまま通った場合、山岳地域に住む少数民族が長い間慣習的に管理・利用してきた共同の土地や共有の森林が解体されたり、一般の農民が私有化の手続きが複雑過ぎて、これまで事実上認められてきた耕作地を失うはめになってしまいます。また、この法案について現地で活動するNGOが懸念していたことは、ADB(アジア開発銀行)のコンサルタントがたった2週間で作ったものだと言われていたことです。このように拙速に改正を進める裏には、農業の市場経済化のためのプロジェクト融資をカンボジア政府がADBから受けるために、法制改革を急がせたということがあったようです。
背景
1999年の2月半ば、カンボジア政府がADBの協力を得て土地法の改正案を成立させようとしていました。既に、閣議での了承を得ているため、議会で採決されるのを待つのみでした。
理由
拙速な土地法の改正によって、山岳地域に住む少数民族が長い間慣習的に管理・利用してきた共同の土地や共有の森林が解体されたり、一般の農民が私有化の手続きが複雑過ぎて、これまで事実上認められてきた耕作地を失い、生活が壊されることが懸念されたからです。
目的
土地法改正の見直しと、住民やこの問題に関わるすべての人々の声を生かした土地法の改正を進めること。
結果
土地法の改正が見合わされ、NGOや山岳民族の人々、平地の農民などが土地管理について抱えている問題や要望を聞く場が設けられ、新たな土地法改正の動きが始まりました。
2000年、日本政府が検討に入っていたプレクトノットダム建設支援に関する調査
概要
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| ■プレクトノットダム建設計画調査報告書 |
プレクトノット開発計画へのアドボカシー活動を始めた2000年3月から時点で、計画は、全く停止していましたが、前年までの情報では、日本大使案件として計画実行もありえるのでは、という懸念がありました。その前年度から、既にOXFAM・GBを中心とした環境NGOのワーキング・グループが監視を開始しており、JVCはその活動に合流し日本のNGOとして、関係諸団体・機関からの聞き取り調査をすることになりました。またダム建設により被害をうける住民や、対象地域の行政担当者、中央政府関係者へのインタビューも行い、それをうけてカンボジア人自身がダム建設をどう考えるか意見を共有したり、支援国および機関に対してそれを伝えるために、ワークショップ開催を計画しました。
プレクトノット開発計画は、大まかに2段階に分けることができます。第1段階は、最小で4,200haから最大で35,700haの灌漑整備です。これは、いくつかある代替案によって異なり、貯水ダムなしで稲作単期作、または、二期作を行うものです。第2段階は、貯水ダムと発電所を建設し、さらに34,000haの灌漑を行い、年間44.8ギガワットの発電を行うか、27,500haの灌漑を行い年間45.2ギガワットの発電を行うというものです。
- プレクトノットダム
- <基礎データ>
建設予定地:プノンペンの西70km、コンポンスプー県プレクトノット川
目的:プレクトノット川下流域の灌漑、発電、洪水管理
予定発電能力:18メガワット
堰堤規模:(高さ)28m (幅) 1,100m
貯水池容量:10立方キロメートル
資金提供:カンボジア政府は2億ドルの借款を日本政府に要請。
土地を失う人々:概算で約17,700人(日本工営1994年)
背景
プレクトノット開発計画へのアドボカシー活動を始めた時点で、プレクトノット開発計画は、全く停止していましたが、前年までの情報では、大使案件として計画実行もありえるのでは、という懸念もありました。実際、この年の前年度に、円借款案件の一つとしてカンボジア政府から要請があったのは事実です。それに対しNGOとして監視の目を強めたことは、これからのNGOアドボカシー活動を考えても適切な判断だったのではないかと思われました。JICA専門家の「時間が経てば経つほど実現が難しくなる計画で、現時点でなにも起こっていないことを考えると、この計画が実行されると考えることは難しい」という見解のように、現在もまだこの計画は進められていません。
理由
カンボジアには、発電用のダムが未だほとんど建設されていないために、電力が足りないという現状があります。実際カンボジア政府は、発電を主目的とし、灌漑と洪水管理をも視野に入れたダム建設を含んだ水力発電開発を進めていく必要があると考えています。しかし同時に、カンボジア政府は、数多くのダムを建設しそれらの悪影響を受けている他国の経験をもしっかりと学ぶことも必要です。この計画案が再びあがってきた時点で情報を得たこともあり、いち早くNGOが提言活動を開始する必要があると考え、複数のNGOによってワーキンググループがたち上がり、行動が開始されました。
目的
主目的
- 日本政府、及び、カンボジア政府と、申請されているプレクトノット開発計画の有益性や地元のニーズなどについて対話を持つようにする。
- 東南アジア地域全体に渡り、特に日本政府出資により整備された産業基盤計画に関連したダム建設などによって悪影響を受けた人々と、この経験を通して学んだことを共有する。
副目的
- 地元の人が、プレクトノット開発計画に参加できるようにすること。
- この計画を、日本政府の国益を最優先させて進めないようにすること。
- NGOと地元の共同体が、申請されている開発計画にアドボカシー活動を出来るようサポートし、工事が行われる場合でも、「最善の方法」で対処できるようにする。
- 風力発電のような代替的なエネルギー源の活用を十分に考慮すること。
- プレクトノットでの農業、漁業に関する地元の人々に元々ある知識を尊重し、代替案を示すことなく、彼らの生計を破壊しないこと。
結果
プレクトノット開発計画は、1973年の中断以来長く物議をかもした問題でした。そして長い中断の後、再開を求める声が何回か上がり、特に80年代終わりと90年代初めには激しい議論が交わされました。実際に、環境調査を含んだ、開発計画の実施可能性を検証する新しい調査がその時期いくつか行われています。それにもかかわらず、現在までに本計画は全く進んでいないだけでなく、計画の再開は、だんだん難しくなっているのが現状です。この調査を終える2ヶ月前の、2000年6月、日本政府はプレクトノット開発計画のために新たなフィーシビリティ調査を実施しないことを、カンボジア政府に正式に申し伝えました。
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