今日の作業は田んぼの草抜きでした。
田んぼの草抜きをする金森さん稲以外の草を手で抜いて抜いて抜きまくってました。稲以外の草たちは、ここで生えると抜かれてしまう運命にあることを知っているのか、様々な方法で運命に逆らおうとしていました。ある草は、根っこをつかまないと途中で切れてしまう(根っこが土に残っているとまた生えてくる)という性質を持っていました。またある草は、根っこを広範囲に広げて、様々な場所から茎を出すようにしていました。さらにある草は、その姿を稲に似せて、抜かれないように擬態しているとしか思えないものもありました。
このような草を抜いているうちに、こんなに一生懸命に運命に逆らって生きても(生きようとしても)、自分以外の誰かの何らかの都合で抜かれて死んでしまう理不尽さと、その理不尽の執行者である自分は何なんだろうと考えてしまいました。しまいには、「生きるってことはどういうことか、何のために生きるのか」ということに行き着いて、草を抜きながら考えていました。草は抜かれなければ成長していきます。それは他の何かを奪っている(例えば他の草が成長するための養分)ことでもあります。そして、抜かれたり枯れたりする(理不尽に奪われる)。でもそうなることで別の何かにつながります(例えば他の草が成長する)。理不尽に奪われること。理不尽さの中で、成長をしつづけること、死んだとしても(死ぬってことで)何かに繋がったり、何かを繋げたりすること。これらが生きるってことであり、何のために生きるってことなのかもしれません。人間の場合は、生きているときにも、何かに繋がったり何かを繋げたりすることができて、その「何か」を自分で決められるのが、草と違うところなのかなぁと、取りとめもなく考えた一日でした。
(金森史明)
淡々と同じ作業を繰り返すことは、まさに瞑想。
そういう時にふと浮かぶ考えや疑問は、実はとても重要だったりする。自然の中には不必要なものはひとつもないはずなのに、人間の都合で抜かれたり殺されたりする草や虫。忙しい生活をしていると考えるきっかけも暇もない。なんで生きているのか、何のためなのか、何に生かされているのか・・・くるくるくるくる考える。インターン誰もが通る道。一年後には答えはみつかるのか・・?! (森本)