ビルマ人労働者の仕事:ゴム農園で働く・朝編
朝。8時ごろにゴム農園に行くと、男性2人がゴムの樹液の入った大ボトルを運んできました。これから、ゴムのシートづくりが始まります。
ボトルに入った樹液を漉し、水と溶剤を混ぜてバットに流し入れます。しばらくすると、液が凝固し始めます。弾力のあるプリンのようになってきたら、シートの上にあけて手作業でローラーをかけます。平均に展ばすのはまさに職人芸。さらにそれをローラーの機械にかけて薄くし、乾かします。この1枚が現在、220バーツ(約600円)ほど。今日は21枚できました。
作業をしているのは、ビルマからの移住労働者。ビルマでもゴム農園で働いていたそうです。価格はタイのほうが高いけれど雇用者が6割とってしまうのであまり変わりがない。ビルマのほうが雨季が短く働ける期間も2ヶ月ほど長いけれど、タイのほうが物価が安いしインフラも整っているから暮らしやすい。どちらが魅力的な労働条件なのか、生活条件なのか。悩ましい選択です。こうしてできたゴムは世界中に売られていきます。

ビルマ人労働者の仕事:エビ養殖場で働く
ビルマ人労働者のタイでの3大労働現場は、建設現場、ゴムプランテーション、そして漁業(養殖含む)です。

海に近いところに位置する、エビ養殖場も訪ねました。池に酸素を送るためにまわっているファン(扇)の音が爽やかに聞こえてきます。ここでの労働はもちろんエビを育てることですが、定期的な餌やりが毎日の仕事の要です。一日に4回、餌の量を調節しながら餌をやります。
ここもゴム農園と同様、大規模なプランテーションではなく、2名でふたつの池を管理している、という比較的目の届きやすい規模の養殖場でした。働き始めて1ヶ月になるという男性が、今日は一人で池を見ています。餌を計って薬(1kg1,000バーツもする!)、液肥をまぜて、船に乗り、まきながら池を一周。
この仕事は月給制になっていて、約3ヶ月に一回の出荷の際には、1キログラムあたり1バーツのボーナスもあります。少々魅力的に聞こえる仕事ですが、水に常に接している仕事であることから、もし怪我をしたりした場合には、治りが遅かったり大怪我をすることもあるそう。治療費は自前で払うという契約です。
餌、薬、モーター・・・すべてにお金がかかっており、やはり雇用主なしには成り立たない仕事です。
女性センターの女たち
FEDの傘下にありながら、独立して活動をすすめている女性センター(WEDA=Womens Empowerment and Development Association)。
そもそも2006年にイタリアの篤志家によってできたビルマ人女性の職業訓練の場。何らかの技術を身につけておけば、本国に帰ってからも仕事を得ることができる。そのために女性たちが自ら集まってきています。縫製から始まった職業訓練は、アクセサリーづくり、洗濯業へと広がっています。
ここに集まる女性たちは、元気そのもの。FEDの若い男性スタッフたちもからかわれっぱなしで、とても明るい雰囲気。「あなたたちは、何をしにきたの?」「私はアクセサリーづくりのトレーナーになって、地域で教えたい」「これからは地域の女性たちと連携していきたいから、外に出かけていくためのバイクを寄贈してよ!」と、押されっぱなしの私たちでした。

テンポラリーシェルターの役割
津波を契機として、身体をこわしたり、職を失ってしまったビルマ人労働者が一時的にでも暮らせる場を提供しようと、2006年に建設されたのがテンポラリーシェルターです。すべての人を収容できるわけではなく、入居した人がその後どのように社会生活に復帰できるようになるのか、といった観点から、JVCも支援すべきかどうか当時は非常に議論になったところです。

現在、20部屋あるうちの2部屋をクリニックとして、FEDの医療チームが常駐できるように整備中。他の部屋に18人が暮らしています。入居希望の人は少なくなく、外にテントを張ってまで対応したこともあるそうですが、現在は病気を抱えている人が入居者の中心。継続的な治療の必要な結核やHIVの患者さんたちです。「30年、タイで働いてきた。ビルマに帰ったら、送金したものは使い果たされていて、自分の居場所はなかった。元気になったらビルマに戻って出家したい」と話す、HIVの男性の話には心が痛みました。
当初のテンポラリーシェルターの目的はさておき、規定の3ヶ月をはるかにオーバーして滞在する入居者の姿、そしてFEDの医療スタッフの働きを見ていると、ここはまさに、ターミナルケア(終末期医療)の現場になっている、という思いがよぎりました。