
広報担当:広瀬哲子
当事者の声を伝えたい
1980年にインドシナ難民の救援を機にJVCが発足してから30年。この節目にあたり、1月29日(土)、昭和女子大学にて記念シンポジウムを開催しました。テーマは「わたしはここで生きている」。紛争や貧困やエイズといった、時代が生んだ困難の中で生きる人々にJVCは寄り添ってきました。それぞれの地で、自分たちの暮らしを、そして社会を変えようと挑戦している人たち。彼らの声こそJVCが積み重ねてきた活動の成果であり、日本社会に伝えたい希望ではないか。そんな狙いから、南アフリカとパレスチナから二人の女性を招聘。250席の会場が満席のもと進められました。
基調講演「平和をつくるための人と人のつながり」 鎌田實さん
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■鎌田實さん。 |
昨年パレスチナを訪問した鎌田さん。幼い息子をイスラエル兵に殺された父親に会いました。この父親は、脳死状態となった息子の心臓を、イスラエルの病気の子どもに提供したのです。息子の命を奪ったイスラエルの人を助ける?そんな疑問に、父親は「川でおぼれている人がいたら、国も宗教も関係なく飛び込んで助ける。それが人間だ」。パレスチナ和平は、各国の政府による長年の交渉にも関わらず進展していません。しかし、この事例のような「人と人のつながり」の積み重ねが平和をつくる力になるのではないか、と鎌田さんは語りました。
パネルディスカッション
難民キャンプの暮らし
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■左から通訳のドゥドゥ、南アのセリーナ、 パレスチナのマナール。 |
パレスチナのマナール・アルアッザさんは難民3世の29歳。一家は祖母の代からベツレヘムの難民キャンプで暮らしています。失業率は依然として高く、多くの家庭では家族を養うことすら難しい状況です。そこでマナールさんはキャンプで刺繍のグループを結成し、JVCのサポートのもと製品を作って販売しています。
HIV陽性者として生きる
南アフリカのセリーナ・ムラバさんは2人の子を持つ35歳の母親です。彼女が自らのHIV感染を知ったのは長男を妊娠したとき。生まれてきた長男は母子感染していました。HIV陽性者には特に栄養が必要であるにも関わらず、セリーナさんの暮らしは貧しく満足に食事も食べられませんでした。しかしJVCに出会い、野菜を育てる方法を習得。今では栄養ある食事をとるだけではなく、まわりの人に育て方を教えるまでになりました。
寄り添うという支援
自らが置かれた過酷な状況を、どう乗り越えてきたのか。事務局長清水の問いに、「支えてくれる人たちの存在が大きい」とマナールさん。「私たちの生活は、食べ物も薬も何もかも国連に与えられて成り立っていました。確かに私たちは紛争の被害者だから…。でもJVCは少し違った。私たちを援助の対象ではなく、対等な人として見てくれました。物を与えるのでなく、寄り添ってくれること。それは私たちにとってとても大切なことなんです」
生み出された自信
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■会場は250名の満席となった。 |
「人は『働く場』と『愛する人』があれば生きる希望を持つことができると言われている」と鎌田さん。「パレスチナと南アでは刺繍づくりや家庭菜園といった、仕事をする場がつくられたことが良かった」と共通点を指摘しました。
「JVCの支援がなくなっても菜園は続ける?」との鎌田さんの質問に、「もちろんです。だってこれはもう私の人生の一部ですから」とセリーナさん。活動を通して、農業や刺繍販売といった技術だけでなく、生きる自信を身に付けたようです。「自分の大変さを横に置いて他の人を支えようという彼女たちの姿勢に、私たちが学ぶことが多い」と鎌田さんが締めくくりました。
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