スタッフの日常の記事一覧
パレスチナ駐在スタッフ木村万里子が昨年12月に現地に赴任してから、はや2ヶ月。 エルサレムでの活動や日常生活を、これからゆるゆると「note」に綴っていきたいと思います。今回は間もなくやってくる春をお届けします。
こんにちは、話題沸騰のエルサレムに住み始めて5ヶ月目になりました、現地駐在員の山村です。こちらでは連日中東らしい暑さが続き、汗を大量にかきながら「ショーブ、ショーブ(暑い、暑い)」というのが挨拶代わりになっている毎日です。
こんにちは、パレスチナ事業担当の並木です。
実は私、7年間ずっと欲しかったものがあるんです。それは...
パレスチナ刺繍のドレス!
7年前、現地に留学していた時はちょっと手が出ませんでしたが、今の私は社会人。「ほら、やっぱりイベントで着るし、一枚は持っておかないと...」と自分を納得させて甘やかし、先日のパレスチナ出張中に思い切って買ってしまいました。
パレスチナへ赴任して2か月半、この間に5回ガザ地区へ行き、地域の人と交流し、またパートナーNGOのArd El Insan(AEI:人間の大地)のスタッフともだいぶ仲良しになりました。特にプロジェクトマネージャーのアマルは、私にとってはガザでの母親、あるいは親友のように思うし、地域保健指導員のハイファも、綺麗で優しいお姉さん、運転士のアブー・アドハムは父親のような存在です。プロジェクトに携わって間もなく右も左もわからない中、ガザの人々は本当に温かく私を迎えてくれます。
9月8日土曜日、JVCパレスチナ・ボランティアチームのTさんがエルサレム・オフィスにやって来ました。既に10年以上もボランティアチームで活動を続けるTさんは、普段日本で保育士さんとして働きながら、貴重な休みを見つけてはパレスチナへやってきて、難民キャンプの子どもたちに会いに行き、紙芝居をしたりゲームをしたり、積極的にパレスチナの人々と交流しています。
8日は、そんなTさんの活動に同行して、エルサレム唯一の難民キャンプ、シャファット難民キャンプに、現地代表の今野と私の3人で出掛けました。
ガザ出張当日。イスラエル側の検問を通過し、ガザ地区内の緩衝地帯に入ります。そこでいつも「荷物運び20シェケルでどうだ?」と言ってくる男性が、そのいつもの台詞を言った後、「あなたたちは日本から来たんだったな?ムシュケレ!」と言いました。「ムシュケレ」は問題とも事件とも取れるアラビア語で、この言葉を聞いたときはまったく気にも留めませんでした。
昨年から始めた養蜂(2010年1月30日「養蜂始めました。」参照)。私のミツバチたちの巣箱はヨルダン川西岸地区北部の村にあり、エルサレムからは車で1時間ほどかかります。これまで2〜3週間に一度、様子を見に行っていました。冬場は餌となる砂糖水をやったり、雨や冷たい風が入り込まないようにしたり、またミツバチが増える春先には、女王蜂や卵がたくさん産み付けてあるフレームを移動させたりと、実は3日に一度は世話をしなければなりません。私がなかなか頻繁に行くことができないため、友人の親戚がずっと面倒を見てくれていました。そしてとうとう収穫の季節がやってきたのですが、自分の巣箱の蜂蜜の収穫の予定日に行くことができず悔しそうにしていた私。そこで、西岸南部のアル・ジーブ村に住む知人のガッサンさんから「うちの蜂蜜の収穫を手伝って」とお誘いがありました。彼の家のミツバチを見に行くのはこれで5度目くらいです(2008年11月28日「アル・ジーブ村[1]:1日養蜂体験」参照)。2008年末に最初に訪れた際は11箱だった巣箱は、この日22箱にまで増えていました。
ベツレヘムから検問所を越えてエルサレムに帰ってくると、バスが渋滞にはまり、全く動かなくなりました。理由は明らか。今日は「エルサレムの日」という、ユダヤ人がエルサレムの再統合を祝う日。それを知っていた僕は、西エルサレムでバスを降りて歩き始めました。