パレスチナ出張記(2017年大村)の記事一覧

パレスチナ出張記【9】「ベツレヘム刺繍と、バンクシー」編のつづきです。

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「世界一厳しい」イスラエル出国

今回まで9回にわたり、2017年4月のキャスター・ジャーナリストの堀潤さんとのパレスチナ出張記をお届けしてきました(堀さんがいたのは、パレスチナ出張記【7】「ガザ出域」編まで)。
イスラエルに入国し、エルサレムからパレスチナ自治区のガザ地区に入域するまでや、ガザ地区でイスラエルによる空爆を経験した人々の声出会った女性達のほか、下着のみにされて身体検査を受けた話など、綴ってきました。
ガザ地区を出た後、聖地エルサレムパレスチナの伝統刺繍、アーティストのバンクシーなどの文化面について少し紹介しました。
そしていよいよ今回は最終章、まずは「世界一厳しい」と言われているイスラエル出国についてレポートします。

3時間前には空港に到着していること!

入国にも使ったイスラエルはテルアビブにあるベン・グリオン空港、出国までにたくさんのチェックがあるため、「3時間前」には空港にいる必要があります。出発ロビー入ってすぐの場所には、空港スタッフによる口頭質疑コーナーが(全員受けます)。まず、「Look into my eyes」と、目を見て回答するように説明があり、その後質問タイムにうつります。ここでは、「どこに行った?」「ガザに行ってるけど何故?」「NGOで何年、何を担当している?」「ガザ以外にどこに行った?」「自分で荷造りした?」などの質問を受けましたが、相手もときおり笑顔を見せていたので、「パレスチナ(主にガザ)に行っていることで少し警戒されて他の人より拘束時間は長かったけど、問題なさそうだな」と余裕をかましていました。ここで「まさか」が起きているとは思いもせず・・・。

貼られていた要注意人物MAX「レベル6」のシール

悠長にトイレを済ませ、荷物検査へ。この時も「意外と時間かからなくて良かった~」とおめでたい考えでいたのですが、ここから事態が急変しました。私のパスポートには、要注意人物MAXを意味する「レベル6」のシールが貼られていたのです。(レベル1~6まで、その人の渡航や来訪暦、年齢、国籍などを基に冒頭で紹介した口頭検査ゾーンで仕分けされています)。パスポートを新調したばかりで、今回のパレスチナなどのイスラム圏おろか、他国の入国履歴すらもなかった私。審査のお姉さんたち、あんなににこやかだったのに・・・と驚きを隠せないまま、同僚に連絡。「それだとこの後の荷物検査に時間がかかるから、フライト時間に注意して、間に合うように係員に伝えた方が良い」とのアドバイスを受けます。

この黄色のシールの1番前の数字がレベルを表しています。「6」から始まっているから、「レベル6」。※自身のパスポートが手元にないため、同じくレベル6経験者のパレスチナ事業並木のパスポートを拝借して撮影この黄色のシールの1番前の数字がレベルを表しています。「6」から始まっているから、「レベル6」。※自身のパスポートが手元にないため、同じくレベル6経験者のパレスチナ事業並木のパスポートを拝借して撮影

開封された「家内安全」のお守り

荷物検査場所に行くと、レベルによってレーンが分かれているようでした。私が誘導されたゾーンはおそらく皆、レベル5~6のシールが貼られていたと思いますが、前の方で検査を受けていた女性が大声で泣いていて本当にびっくり。「一体何が始まるんだ・・・」とかなりの不安を覚えました(おそらくこの女性は、何かを没収されたのだと思います)。

荷物は、ガザ出域の時同様、すべて開封されました。本当に「すべて」です。更にここでは1つ1つのものに探知機(金属?)を手動でかけるので30分程がかかったでしょうか。私のパソコンとカメラは、別室での別検査対象となりました。自身も呼ばれ、全身をくまなく金属探知機にかけられます。

と、その時!本当に恐るべき光景というか、今まで見たことがない光景が私の目の前に突然飛び込んできたのですが・・・

係員:「これは何だ」
大村:「え!!!!!!これ、何?知らない。というか何でこれも開けてるの?!(心の声)」

私の目の前には、開封された日本から持参したお守りが・・・(!!!)なんて罰当たりな!と焦る私に、係員は更に「これは何だ」と言いながら、見たこともない状態までお守りを開封します(小さな何かが白い紙に包まっていた・・・)。

お守りなんて開けたこともないし、中に何が入っているかなんて知りません。目の前にあるのは、私も初めてみるお守りの「中身」です。でもここであたふたしたら、更に時間がかかる=乗り遅れるかも との不安がよぎり、頭はフル回転。「I don't know」とは言えない空気に、出した答えは「(しぼりだすように)・・・This is my god(これは私の神です)」。

しぼりだすように言ったのが功を奏したのか、イスラエルの空港職員も、恐らく信じるものがあるからなのか分かりませんが、彼も私の回答に驚いたようで、「OH,sorry.危険なものじゃないか?」と尋ねられ、「もちろんだ」と回答したら、それ以上追及されることはありませんでした。私はどの宗教も信仰はしていませんが、お守りはやっぱり大切なものですよね。心底びっくりした忘れられない経験となりました(苦笑)。40分程で検査は終了、無事、搭乗し帰国の途に着きました。

あらためて、思うこと。出張記まとめ

私は今回、パレスチナに出張しているので、イスラエルの方とは、空港や空港からエルサレムまでのタクシーなどの限られた場所でしか接することがありませんでした。なので一部のことしか、見ていない状態にあると思います。色々な思想はあるかと思いますが、イスラエルの中にも、「パレスチナ問題」解決のために奔走する人たちがいるのも事実です(出張記【8】で紹介 )。いつか時間がとれれば、「ユダヤ」側の方がどう思っているのか、直接しっかり聞いてみたいなとも思いますが、圧倒的にパレスチナが不平等な状況に置かれ、弱い立場に追いやられていることは間違いありません。そもそも壁の外に出られない(=移動の自由がない)方が大勢いるのです。毎日使う電気などのライフラインが脆弱なばかりか、壁で封鎖されて逃げ場がないのに空爆をされるのです。私はこの不平等に、憤りを感じます。

毎日を過ごしたパレスチナの方は、月並みですが、尊敬できる素敵な人ばかり。中東好きな方が良く「何がいいって、人。人が皆素晴らしい」と言うのを聞いて、いつも「たまたまそういう人に会っただけでしょ」と思っていたのですが(笑)、私も今は、同じ台詞を言うでしょう。本当に、素晴らしい人ばかりです。もちろんこれも一面しか見ていないと思いますし、中には普通に悪人もいると思いますが、イスラム圏の方の「旅人、外から来た人をもてなす」という姿勢に私は感動しています。出張記では触れていませんが、パレスチナ自治区のヘブロンという地域に行った時には、街の案内を(もちろん無料で)申し出てくれ、くまなく文化を紹介してくれたマリクという男性にも出会いました。なぜこんなに良くしてくれるの?と聞くと「イスラムの文化だから」と。心からのおもてなしを見ました。

忘れてはいけない瞬間がたくさんありました忘れてはいけない瞬間がたくさんありました
子どもはどこの国でも本当に「宝」ですね子どもはどこの国でも本当に「宝」ですね

「政治面では対立してしまうけど、文化面では似ている部分もある(たしかに料理などとてもよく似ています)、だから政治にフォーカスするのではなく、文化面で協働する。できるだけ共通の部分に目を向けていきたい」と話してくれたムーサさんと言うパレスチナ人男性にも出会いました。

どなたも皆、日本ではなかなか考えられない環境(電気がない、移動の自由がない、壁がある、空爆がある)で暮らしているのに腐らず、前を見て、ともにこの問題の解決を目指せる「仲間」「同志」を探していました。ガザのタクシー運転手のリヤードさんやJVCがともに活動する現地NGOのハイファ、などに、たくさんのことを教わりました。

ガザ地区での一枚。厳しい環境の中、それでも前に進んでいますガザ地区での一枚。厳しい環境の中、それでも前に進んでいます

何度か触れてきましたが、今回の出張記で触れている地域は、ガザ地区以外は観光で訪れることのできる場所です(事前の情報収集は強く推奨します)。エルサレムなど、世界中から外国観光客が集まる地域もあり、訪れるハードルは思っているより高くないと思います。エルサレムは東と西に分かれていて、東がパレスチナ人居住区、西がイスラエル人居住区(詳細は出張記【1】)。明確な仕切りはありませんが毎日歩いているとその違いが分かるようになり、それもまた新たな発見となります。

私は、「学生などの若い人にこそ、行ってみて欲しい場所」と感じています。2カ国間の溝、対立、占領の現実を常にヒリヒリと感じると同時に、その風景、世界遺産などから受け取る素晴らしい文化、聖地で感じるそれぞれの宗教の面白さなど、ここにはありとあらゆるものが雑多に入り混じっています。これがこの場所の「日常」です。自分の考えや感情が何度も何度も揺さぶられることでしょう。ものの見方が大きく変わるかもしれません。本当に、「たくさんの人に訪れ、見て感じて欲しい場所だな」と幾度も感じました。

今回で一旦、このパレスチナ出張記は終わります。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。この出張記を読んで、パレスチナの状況に少しでも関心を持った方、強めた方がいたら、これからもつながり続けていただければ幸いです。以下にリンクを紹介しますので、関心にあわせてチェックしてみてください。

なお、紹介するリンク以外にも、(これを見る多くの方が日本人だと思うので、日本に限定して話しますが)私たちが住む「日本」が国際社会の一員としてどうこの問題に対応していくのかに関心を持つことは、非常に重要なことです。(これを書いている12/26現在、河野外相がエルサレムでイスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治区ラマラでアッバス自治政府議長と個別に会談しています。参考外部リンク:https://www.jiji.com/jc/article?k=2017122600023&g=pol

今回出会った人々は口を揃えて、「解決には国際社会の参加が不可欠」と言っていました。私もそう思います。少しでも多くの方がこの問題に関心を持ち、同じ世界に住む一員としてこの問題を考える。行動する。この出張記がそのきっかけになれば、大変嬉しいです。

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(今回の出張で堀潤さんが作成した動画です。改めて、ぜひご覧ください)

パレスチナ出張記【7】「ガザ出域」編のつづきです。

美しすぎる、聖地エルサレム

赤丸をつけた「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」が「パレスチナ自治区」。緑丸をつけた「エルサレム」はイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地で大変人気のある観光地でもあります。詳細は出張記【1】(https://www.ngo-jvc.com/jp/tokyostaffdiary/2017/07/20170725-palestine-1)をどうぞ)

ここまでの出張記では、主にガザ地区について報告してきました。ここからは、聖地「エルサレム」と、パレスチナ自治区の「ヨルダン川西岸地区」について少し紹介したいと思います。

赤丸をつけた「ヨルダン川西岸地区」と「ガザ地区」が「パレスチナ自治区」。緑丸をつけた「エルサレム」はイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地で大変人気のある観光地でもあります。(詳細は出張記【1】をどうぞ)

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パレスチナ出張記【6】「SDカードが没収された」編のつづきです。

家庭訪問での聞き取り

ガザ2日目の朝、4月21日(金)の記録です。この日は朝から活動地・ビルナージャの家庭訪問に同行しました。出張記【5】で紹介した現地NGOのAEIが行う家庭訪問では、各家庭を回って子どもの健康調査や栄養状況の確認などを行っています。

子どもたち、まージッとしていません(笑)栄養失調の子どもが多いので身体は小さいですが、気持ちは本当に元気。「子どもがこの国の未来だから」と大人が口を揃える理由がよく分かります。

歌って走って笑って・・・大忙し!歌って走って笑って・・・大忙し!
隙あらば話しかけられる今井隙あらば話しかけられる今井

家庭訪問の途中、AEIスタッフの自宅に寄りました。スタッフ自身も難民生活で、家にはわずかな家財道具しかありません。もちろん電気も通っておらず、昼間なのに薄暗いガランとした空間。自身も大変な暮らしであるのに、「未来のため」、子どもに関わるこの仕事に就けて幸せだと語ってくれた彼女。「皆、支えあいなのよ」と笑顔で語るその姿、私はパレスチナに来て、自分の人生で初めて本当に「神々しい」人達に出会ったような気がします。

冬は日本と同じくらい冷え込みます。コンクリートの床は非常に冷えますね冬は日本と同じくらい冷え込みます。コンクリートの床は非常に冷えますね

さて、この日は金曜日、パレスチナは金曜と土曜が休日のため、普段は夕方まで空いているゲートが、13:00に閉まります。今日出域しなければ間に合わないので、急いで出域準備です。

ガザの外へ。すべてを脱いだ身体検査

行きに通ってきたゲートをとおって、外国人である私たちは、ガザの外に出ることができます。ここで出会った人は、基本的に外に出られないんだよな・・・と頭では分かっていても、理解しがたい状況。本当にどうにかしたい。

出域のときには、入域のときとは違い、身体検査が入ります。「変なもの」をイスラエル側に持ち込まないような対策でしょうか・・・。金属探知機に入るか、手動でのチェックかを選択でき、私は後者にしたのですが、個室で「すべて脱いで」という指示が出され、「下着のみ」にされました。部屋は下が網になっていて、下からも確認ができるようになっているのか?下着以外すべてを脱いだ後は、棒状の金属探知機で3分程、脱いだ衣類はもちろん、下着の上からお尻の割れ目まで(!)徹底的にチェックをされるこの状況・・・最後まで悲しい気持ちにさせられました。それは、自分がこんなことをされて悲しい、ということではなく、このシステム、ここまでこじれているこの2国間の溝についての悲しみです。
身体検査の最中には、荷物検査もあったのですが、出域の時は機械に通すだけではなく、手動でのチェック、中のものがぜーーーんぶ開封されて戻ってきました。ビニール袋に入れていた洗濯物も、中で買ったものを包んでいた新聞紙も全部はがされ、1から詰め直すことに・・・。それでも、「出られるだけいい」のか?

何ができるのか?

ここまで7回にわたり、ジャーナリスト・堀潤さんとともに訪れたパレスチナ・ガザ事業地の様子をお届けしてきました。暮らす人が外に出ることのできない、完全な封鎖を、自分の目で見てきました。今回、私は現地で出会った人達に、「私たちにできることは何?」と何度も聞きました。返ってくる答えは皆、大体同じで、「ここで見たこと、感じたことを日本に持ち帰って、伝えて欲しい」「この不条理を一人でも多くの人に知って欲しい」「ともに考え、立ち向かう仲間が欲しい」と。

「国と国」というとてつもなく大きな力に対して、一般市民の私たちができることは小さなことかもしれません。目の前に立ちはだかる壁の高さに、大きな無力感を感じたことも、事実です。それでも、小さな努力の積み重ねが、人と人の繋がりが、物事を動かすのだと私は信じています。
今この瞬間も、日本に暮らす私たちでは想像できない環境下で、暮らす人がいます。一方的に閉じ込められ、圧倒的な制限をされている人たちがいるのを知っていること、また、知ろうとすること。それがまず、誰もができる第一歩なのではないかと思うのです。

ガザの皆さんは、日本から来た私たちを、笑顔で迎え入れてくれました。「来てくれてありがとう」「子どもたちが私たちの未来なの」と笑う人たちの笑顔が、優しさが、どれだけの不便や苦しみの上に成り立っているのかを忘れることなく、知ったからには、見たからには、できる限りで関わり続けること、伝え続けること、改めて心に誓った次第です。
この記事を読んでくださった皆さんの中で、もし、このパレスチナの状況に少しでも関心を持った方、強めた方がいたら、これからも繋がり続けていただけたら、嬉しいです。ぜひ記事の最後に紹介するリンクをチェックしてみてください。

今回の滞在中、一番印象に残った一枚。停電でも、壁の外に出られなくても、できることを続けていくのよ、と笑う彼女たちの前で、弱音を吐くことはできません今回の滞在中、一番印象に残った一枚。停電でも、壁の外に出られなくても、できることを続けていくのよ、と笑う彼女たちの前で、弱音を吐くことはできません

(今回は13:05~ラストまでのお話でした)

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<掘潤さん作成の動画とともに、【1】~今回まで7回続けてきたこの出張記。この後、動画には入っていないエピソード、「聖地と銃と観光あれこれ」「ベツレヘム刺繍と、バンクシー」「日本に帰国!世界一厳しい?イスラエル出国」編を、あと少しだけ、更新します。

<パレスチナ出張記【8】「聖地と銃と観光あれこれ」編に続く>

パレスチナ出張記【1】イスラエル入国~エルサレム到着編のつづきです。

東エルサレムのホテルからの朝焼け。エルサレム、美しい場所です東エルサレムのホテルからの朝焼け。エルサレム、美しい場所です

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広報担当の大村です。4月にパレスチナ事業地に出張してきました。今回はジャーナリストの堀潤さんがJVCのガザ事業地を訪問・撮影されることになり、アシスタントの役割も兼ねての渡航となりました。

ガザ事業地でパートナーの女性たちと。前列左が堀潤さん、後列左から4番目が筆者。これから数回に分けて出張記を綴っていきます!ガザ事業地でパートナーの女性たちと。前列左が堀潤さん、後列左から4番目が筆者。これから数回に分けて出張記を綴っていきます!

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