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パレスチナ出張記【4】シュジャイヤ「空爆を経験した人々の声」編

広報担当 大村 真理子
2017年10月19日 更新

ガザ市内を行く

ガザ地区に入ってすぐの地域は、ベイト・ハヌーンという地域で、2014年のガザ戦争で一番空爆のひどかった場所でした。3年がたつ今も、大きく空爆の跡が残る建物が目につきます。

骨組みだけがかろうじて残っている骨組みだけがかろうじて残っている

リヤードさんの運転する車を走らせ、JVCのガザ地区での活動パートナーでもある地元のNGO「Ard El Insan(アルド・エル・インサーン)、以下AEI」の事務所に到着。AEIは母子の栄養改善に特化したNGOで、現地で非常に有名な団体でもあります。JVCは2011年から彼らとともにガザでの活動を行っています。
事務所には、AEIスタッフ、アマルの姿が。また、先にガザ入りしていたパレスチナ駐在員の山村と、人道支援/平和構築グループマネージャーの今井の姿も。ここで堀さん、並木、私と、無事合流です。と、ここでアマルが一言。「せっかくだから集合写真を撮ろう」、手には既に自撮り棒が!というわけで記念に一枚・・・(なんか嬉しい)

中央がアマル、左から山村、(あー残念!半目の)今井、大村、堀さん、並木です中央がアマル、左から山村、(あー残念!半目の)今井、大村、堀さん、並木です

ちなみに、アマルの出身地は、この記事の一番はじめに紹介した写真の地域(ベイト・ハヌーン)。自分の故郷が何度もあのようなことになっても、あきらめずに前を向きリーダーシップを発揮する彼女の姿は、本当に「すごい」の一言です。私自身、この仕事(広報担当)に就いてから、何度このような素晴らしい人たちに会う機会をいただけたでしょうか。どこに行っても、諦めずに前を向いて状況を改善しようとする人たちがいる。そのことを知るたびに自分の無力さを痛感すると同時に、「自分だって」と前を向く理由にもなりました。支援、支援と言いますが、現地には驚くほどのパワーがあり、いつも光をもらってばかりです。私には、支援というより、「恩返し」という言葉の方がしっくりきます。いつもパワーをもらって、前を向く強さを教えてもらっている。だからその御礼をしたい。活動地を訪れるたびに、そんな気持ちが強くなります。

ガザに住む人たちは?シュジャイヤ地区へ

さて記念写真撮影後は、さっそく移動。アマルの故郷同様、2014年の空爆のひどかった地域「シュジャイヤ」に向かいます。このシュジャイヤは偶然、今回タクシーを運転してくれているリヤードさんの故郷。「あなた達はガザの様子を外に届けるためにここに来た。だから僕は、この街の様子を、あなた達に話す。ここでどんなことが起きているのか、伝えたい。これは世界へのレター(手紙)だ」という言葉の重みを改めて感じます。

パレスチナ出張記【3】で紹介しているリヤードさんパレスチナ出張記【3】で紹介しているリヤードさん
3年がたち、建物は再建されていますが、まだガレキが残ります。何より、ここに暮らす人たちの心にはいつまでも戦争のことが残っているでしょう3年がたち、建物は再建されていますが、まだガレキが残ります。何より、ここに暮らす人たちの心にはいつまでも戦争のことが残っているでしょう

リヤードさんのいとこは2014年の空爆で車いすになりました。戦争の日、イスラエルからは「攻撃する」という報せが入っていましたが、ガザを実質支配するパレスチナ自治政府のハマスは「(地区から)出るな。出たらスパイとみなす」と言っていたそうです。逃げる人と逃げない人が分かれ、リヤードさんは「逃げない」選択をしました。そして、空爆が起きました。

2014年空爆直後のシュジャイヤ①2014年空爆直後のシュジャイヤ①
2014年空爆直後のシュジャイヤ②2014年空爆直後のシュジャイヤ②

当時、シュジャイヤのまち全体が恐怖に襲われ、リヤードさんは3家族で、離れた場所に住む娘さんのところに逃げようとしたそうですが、既に避難民で一杯、急遽息子さんの家に逃れました。本当に、着の身着のまま、毎日同じ服で過ごしたそう。生死の境を経験した方の言う『「生きたい」と思ったから逃げた』という言葉の重みを、忘れることができません。当時、ガザ地区の南側、エジプト国境の検問所はまだ開いていました。リヤードさんはタクシー運転手としてガザ地区外に逃げる人々の送迎などをしていたので、一緒に外に逃げることもできたそうです。「でも、ここには家族と家もある。死ぬならここで死ぬ」と決めて逃げなかったと言います。福島でも同じような言葉を聞いたな、と思いながら、私は頷くだけで精いっぱいでした。

子どもたちの経験

リヤードさんの話を聞いているうちに、近所の人が次々に集まってきました。

当時の様子を語るリヤードさんと、カメラを回す堀さん当時の様子を語るリヤードさんと、カメラを回す堀さん

パレスチナの子どもたちはどこにいっても人懐っこい子が多いのですが、とりわけこの地域はリヤードさんがいたからか、懐っこく話しかけてくれる子が多かったです。アラビア語なので当時は分からなかったのですが、後から聞いたら私に「結婚しよう」と話しかけてくれた小さな男の子がいたことを知り、大変大きなチャンスを逃した気分にもなりました(笑)

人道支援/平和構築グループマネージャー今井の周りには、あっという間に男の子が!丸坊主が珍しいかな?人道支援/平和構築グループマネージャー今井の周りには、あっという間に男の子が!丸坊主が珍しいかな?

リヤードさんが率先して子どもたちに当時の様子を聞いてくれました。子どもたちは無邪気な顔のまま、こう教えてくれました。

「夜、一気にミサイルが来た」
「家から出られなかった」
「周りで、17人くらいの人が死んだ」
「7階建ての場所に住んでたけど、今はまだ3階までしかない」
「全部壊された」
「ミサイルがお父さんの足に落ちた」

誰に聞いても、このような話が出てきます。こんな壮絶な経験をしても、外国人を受け入れ、話をしてくれる人たち。一体、こんな(戦争のような)大きな力に、どうやって抵抗すれば良いんだろう?私たち一般市民の力の小ささに打ちのめされそうになりますが、外に出られる私たちがここで見たことを持ち帰り伝え、小さな力を連帯させて声をあげていくことが、解決の1つの道になることを信じて、続けていくしかありません。本当に悔しい気持ちは一旦飲みこんで、ここでも前を向くしかないのだと、自分に言い聞かせます。

ちなみにこの地域、上を見上げれば真っ青な空に、白い気球が見えました。

赤い丸の中に白い気球が赤い丸の中に白い気球が

イスラエルとの境界ラインに近いこの場所、この気球がイスラエルとの境界ラインです。

(今回は4:00~7:10頃までのお話でした)

パレスチナ出張記【5】ジャバリア「心底かっこいい女性たち」編につづく>

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