スーダン日記
週末をはさんで翌週の始め、アドランはマフムードさんに電話して、先週の井戸の視察について報告しました。
「そうだろう、2本しか動いていないんだ。分かってくれたか」
「でもマフムードさん、今まで村人が自分たちで修理してこなかったのは、どうしてなのでしょう?」
アドランは、修理が必要なのは分かったけれども、村人がどうやって井戸を維持運営していくのか、話し合ってほしいとお願いしました。
「そうか、話し合いをしなくちゃいかんな。でも、すまないが、今週もタフリには戻れそうにないんだ」
マフムードさんは、相変わらず忙しそうです。公務員だという話を聞いていましたが、「副業」として個人で商売をしていて、それに忙しいのかも知れません。カドグリでは、そうしたことは珍しくはないのです。
「だから話し合いをするのはちょっと無理そうだが・・井戸のことだったらシャディアという女性に会って話をしてみてくれよ」
マフムードさんには、「話し合い」の意味がうまく伝わらなかったようです。アドランは村人同士の話し合いをして欲しかったのですが、マフムードさんは「JVCがマフムードさんと話したがっている」と受け取ったようです。だから、自分の代理としてシャディアさんを紹介したのでしょう。
「シャディアさんというのは、誰ですか」
「タフリの住民だけれど、以前に井戸の研修を受けたことがあって、井戸のことをよく知っているんだ」
毎日のように活動地をまわっているJVCスタッフのアドランですが、今日は事務所で少しゆっくりしています。パソコンでメールのチェックをしていると携帯電話が鳴り始めました。
「あれ、マフムードさんだ。珍しいな。何かあったのかな?」
表示された名前を見てそう思いながら、端末を取り上げました。
「おお、アドランか。どうだ?元気にしているか?」
久々に聞く声です。
マフムードさんは、カドグリの町の西のはずれ、タフリ村の地区会長です。
丘陵地帯の入口にあたるこの村では、昔ながらの農業で暮らす人々もいれば、カドグリの町に出て仕事をする人も徐々に増えていました。
しかし3年前に紛争が起きた時には、丘陵地に陣取る反政府軍と市内の政府軍との間で激しい戦闘が繰り広げられ、村のほぼ全住民が避難。やがて人々は元の家に戻り、今ではすっかり落ち着いていますが、そのまま村を離れた人も少なくはなかったようです。
私たちは昨年、この村で農業を再開する人たちに種子と農具の支援を行いました。地区会長のマフムードさんとは、その時からの知り合いです。しかし最近では会うこともなかったため、突然の電話にアドランも少し驚いたのです。

3本目の井戸をめぐる、村のもめごと。いったい、何が起きたのでしょうか?
JVCスタッフのタイーブが後から聞いたところ、次のようなものでした。話は1年半前にさかのぼります。
その井戸の周辺は、トマ集落の中でも牧畜民の人たちが多く住んでいる場所です。何十頭、或いはそれ以上の家畜を所有しています。井戸管理委員会のメンバーであるハミスさんも、そんな一人でした。
井戸の周りには、クレーターのような形の家畜の水飲み場がたくさん作られ、牧畜民の人たちは井戸で汲み出した水をバケツでそこに注ぎ込んで、家畜に飲ませていました。ハミスさんは、いっそのこと井戸の手押しポンプを取り外し、電動ポンプをつけてホースで直接に水を引くことを考えたようです。そうすれば井戸は家畜専用になってしまいますが、実際にそのような井戸は牧畜民が多い地域に行けば珍しくないのです。そして、電動汲み上げの井戸にした場合、そこで給水する牧畜民は利用料金を支払うことが通例です。
ハミスさんは、井戸管理委員会やシエハ(住民リーダー)に説明し、カドグリの町まで出向いて水公社(日本でいう水道局)の承認まで取り付けた上で、自分で電動ポンプを購入して取り付けました。ポンプを動かすディーゼル燃料も自己負担です。ハミスさんは自分の家畜に水を飲ませ、そして、牧畜民から利用料金を集めるようになりました。
JVCスタッフが到着すると、既に工具を手にした村の男たちが待ち構えていました。
巨大なスパナのようなその工具は、地中に延びた井戸のパイプを引き揚げるための道具です。これから、村人による井戸の点検・補修が始まるのです。
「みなさん、おはようございます。JVCスタッフのタイーブといいます。こちらは、水公社(水公社:Water Corporationは、スーダン政府の給水事業体。日本でいう水道局にあたる)から来てくれた技師のアルヌールさんです。きょう一日、皆さんの作業を見ながらアドバイスをしてくれます。分からないことがあったら何でも聞いてください」
タイーブが紹介したアルヌール技師は、普段は新しい井戸の建設に従事しています。今日は忙しい合間を縫って、村人を手助けするために来てくれました。
「よし、さっそく始めようか」
工具を手にした村人が声を掛けると、十人以上が立ち上がって目の前の井戸に取り掛かりました。
私たちはこの半年間、避難民や地域住民が作る菜園に灌漑用水を供給し、同時に生活用水としても利用するため、5つの集落で計10本の手押しポンプ付き井戸を補修してきました。今回の「現地便り」では、そのうちのひとつ、ムルタ・ナザヒン地区のトマ集落で6月に行った補修の様子をご紹介します。
トマは、カドグリ市街から北に20キロ、カドグリ空港の滑走路の奥にある集落です。空港といっても、民間定期便はありません。軍用機と国連機だけが離着陸する空港です。

それは、6月初旬のことでした。
「おい、この音が聞こえるかい?」
電話口からは、会話がかき消されそうなくらいの轟音が響いてきます。
「何だって?何の音だい?」
私の声も、自然と大きくなります。
「軍のヘリコプターだよ。いま、町の上を低空飛行していった」
電話の相手は、カドグリ市内に住むアリ君。年齢は30歳前後でしょうか、単身赴任で中学校の英語教師をしています。首都ハルツームにいる私とは、ときどき携帯電話を掛けあう仲。よく「英語でしゃべる機会が少ないから、いい練習になるんだよ」と言って笑っています。私が訪問することのできないカドグリの様子も、折に触れて教えてくれます。
「ウムダは、いらっしゃいますか?」
JVCスタッフのアドランがそう尋ねると、
家の前で談笑をしていた年配の女性が振り向いて、
「おや、援助団体の人だね。あいにくだけど、昨日の夜から戻ってないよ」
と教えてくれました。

子どもたち
スーダンの村落部で、住民リーダーは「ウムダ」「シエハ」と呼ばれています。集落の長がシエハで、幾人かのシエハを束ねるリーダーがウムダです。日本で言えば、村長にあたる存在です。
ここムルタ・ナザヒン地区では、野菜種子の支援を予定しています。その打ち合わせをするためにウムダを訪ねたのですが、不在ならば仕方ありません。今は種まきのシーズン。昨晩から戻っていないということは、遠くの畑に泊まり込みで出かけているのでしょうか。
「いつ頃に戻ってくるか、分かりますか」
「そうだね。じきに戻るだろうよ」
「じきに」といっても、いったい何時間かかるのか、見当もつきません。
「分かりました。それでは、また出直してきます」
7月1日、日本では、集団的自衛権の名のもとに海外での武力行使を容認する閣議決定がなされました。
集団的自衛権を行使する理由のひとつに、首相は「駆けつけ警護」というものを挙げています。私のような、海外の紛争地に派遣されているNGO職員が「武装勢力」に攻撃された時に、自衛隊が「駆けつけて救出する」というものです。
これについて思うところを、実は、閣議決定の前に新聞記事向けに書いたのですが、ちょっと長すぎたらしく(笑)新聞には掲載されませんでした。原稿をこのまま眠らせておく代わりに、「現地便り」読者のみなさんにお届けしたいと思います。

JVC事務所の机の上に大きな紙を広げて、スタッフのアドランが何か書き込んでいます。
「なんだよ、それ?」
同僚のタイーブが不思議そうにのぞき込みました。
「なんだ、忘れたのか?このまえ、アフマドさんの青いノートを見ながら、家畜の給水料金を誰が払っていて、誰が払っていないのか、整理したじゃないか。それを紙に書いているんだよ」
「おお、そうか。そうだったな。今日の井戸管理委員会の話し合いで使うんだな」
「そうだよ」
「ふーん、そうして一覧表にすると、分かりやすいな...おい、そろそろ時間だぞ」
アドランとタイーブは、赤いクルマに乗ってティロ避難民向け住居へと向かいました。
乾季も終わりに近い4月半ば、避難民向け住居のまわりは茶色く乾燥した大地が広がっています。その中になぜか1本、緑の葉をつけて真っ直ぐに伸びた木があります。その下が、いつもの話し合いの場所です。
輪になって座ったメンバーは23人。井戸管理委員会だけでなく、ウォーターヤードに隣接した菜園で野菜作りをしているメンバーも、ずらりと並んでいます。今日は、合同の話し合いなのです。
2月の話し合いで、菜園メンバーは「ウォーターヤードの水を利用する代わりに、ポンプの燃料代として分担金を払う」ことになり、菜園に水を引くホースが取り付けられました。しかしその後、菜園メンバーから「ウォーターヤードの管理人がホースに水を流してくれない」との不満が噴出。一方で管理人は「菜園メンバーが分担金を払わない」と逆に文句を言い始め、互いの「いがみあい」が続いていました。
今日は、それを解決するための話し合いです。
「収支がハッキリしたのはよかったし、銀行に預金もできた。でもさ、それでいいのかい。牧畜民にはずいぶん『タダ飲み』されてるんじゃないか?」
天井から吊るされた扇風機が回るJVCカドグリ事務所で、スタッフのタイーブがブツブツ言っています。
先日、ティロ避難民住居で行われたウォーターヤードの運営についての話し合いで、家畜からの給水利用料などの収支が報告され、手元に残ったおカネは井戸管理委員会の銀行口座に入金されました。
しかし...

牛追い用の長いステッキを手にしている
JVCが設置したティロ避難民住居のウォーターヤード。前回までは、菜園への灌漑用水をめぐる「いざこざ」について書いてきました。菜園メンバーからすれば、井戸管理委員会は家畜給水の収入があるくせに、菜園には水を流さない「悪者」のようにも見えます。はたしてどうなのでしょうか。
そこで、今回は井戸管理委員会の側にスポットを当てて、家畜給水にまつわる話をご紹介します。
乾季が始まって間もない12月頃、300キロも北の乾燥した地域で雨季を過ごしたウシたちが、カドグリの周辺に戻ってきます。その数は1万頭とも2万頭とも言われます。郊外の草原に牧営地を設け、牛飼いの男性たちはドーム型のテントを張ってウシと生活を共にします。
牧営地のまわりには、長年にわたり使われている水場があります。それはハフィールと呼ばれる大型の溜池であったり、牧畜民が自分たちの手で掘り込んだ井戸だったりします。もちろん利用料金などありません。しかし、乾季が半ばに差し掛かる2月頃、それらの水場は枯渇していきます。そうなると、牧畜民は料金を支払ってでも各地区にあるウォーターヤードの水を利用することになります。カドグリ周辺のウォーターヤードは地下30~50メートルの帯水層から取水しており、乾季でも水が豊富です。

