夕暮れ時、まだまだ暑いハルツームの町を歩いていた私の携帯に、カドグリ事務所のスタッフ、ユヌスから電話が入りました。
「砲撃だ。カドグリの町をめがけて撃っている。さっきから4発くらい爆発した」
「本当か?どのへんに着弾しているんだ?」
「JVC事務所からは東の方角、近くはないが・・・でも市街地に落ちているようだ。このあたりでも、みんな家に逃げ込んでいる」
ユヌスの声は緊張こそしていますが、取り乱しているわけではりません。数キロ先からのロケット砲による反政府軍の攻撃は、今回が初めてではないのです。
「わかった、事務所にいるのはユヌスさんだけ?」
「そうだ、あとの二人はもう帰宅した」
「二人が無事かどうか、一応電話で確認して。それから、ユヌスさんは外には出ず、しばらくは事務所で待機してください」
反政府軍による砲撃は、昨年11月以降しばらくは止まっていました。4月中旬になって再び撃ってきたのは、何かのサインでしょうか?
ユヌスからの続報では、日没までには砲撃はやみ、町は静まったようです。しかし、直撃を受けた家では犠牲者が出たという情報が、早くも町中を駆け巡っていました。
「もう、慣れてしまったよ。カドグリはこれが普通なんだ」
JVCがレンタル契約しているクルマの運転手、ズマムは「戦時下」のカドグリの状況をそんなふうに言います。紛争が始まって2年。カドグリで暮らし続けてきた人にとっては、確かにそれが「普通」なのかも知れません。或いは、そうとでも言わなければ、カドグリでは暮らしていけないのかも知れません。
ズマムが運転するクルマに支援物資の毛布、防水シート、鍋や食器を積んで、JVCスタッフは砲撃を受けた地区を訪問しました。4日後のことです。 足を踏み入れると、直撃を受けた家は跡形もなく、瓦礫の山が広がっていました。焼け焦げた跡には、鉄骨だけが残ったベッドが置きざりになっています。犠牲者は3人。残された家族は近くの親戚の家に仮住まいをしており、せめてもの支援物資を受け取ってくれました。
大人がこうした状況を理解することができたとしても、特に子どもたちにとって、この状況を受け入れるのは容易ではないようです。
ユヌスの子ども5人は、砲撃の時にはたまたま、被弾した地区に近い奥さんの実家にいました。
「あれ以来、うちの子はすっかり怯えてしまったよ」
ユヌスは言います。
「砲撃のあと、カドグリ郊外では戦闘が始まったらしい。夜になると砲弾の音が町まで聞こえてくる。子どもたちは皆、怖がって寝付けないんだ」
やはりあの砲撃は、戦闘再開の合図だったのかも知れません。
結局、一家はユヌスを残してハルツームに引き揚げることになりました。ところが、いざ出発の日になると
「ダメだ。バスが満員で乗れなかった」
多くの人々が同じようにカドグリを離れようとしていたのです。奥さんと子供たちがバスに乗れたのは、翌々日のことでした。
それでも、まだカドグリには何万人もの人々が残って生活しています。州政府職員や教員など今の仕事を離れられない人、ここに自分の店を持っている商店主、ほかの土地に行っても生活のアテがない人、そして4万人とも言われる避難民・・・。
私の携帯電話が鳴りました。発信元はカドグリ、ユヌスです。
「いま、町はずれの小学校に大勢の避難民が来ているという連絡を受けた」
「えっ、どこから?何人くらい?」
「北のほうだ。大きな戦闘が起きて、いくつもの村が村ごと避難している。何人いるのかわからないが、どんどん増えているらしい。とにかく、今から行ってみる」
(続く)
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