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現地ブログ from スーダン

スーダン日記

スーダン駐在のスタッフが、日本ではほとんど知られていないスーダンの情報や活動のようすをお伝えします。
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こんにちは。広報インターンの竹林です。

6月末から始動している2022年夏の募金キャンペーン。その「キックオフイベント」が、7月2日に開催されました!

広報グループの並木さんと、スーダン現地スタッフの今中さん・橋口さんが登壇し、スーダンの情勢やご寄付によって生まれた変化などについてお話しました。
(イベントの詳細はこちらからご覧いただけます。)

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スーダンのいま

まずはスーダンが置かれている状況について今中さんがお話をしました。

独裁政権崩壊後、民主化に向けた動きが進んできたところで起きた軍によるクーデター。そこから不和が続く中、問題は尽きないようです。

大まかにまとめると、現在のスーダンはまさに経済の「4重苦」状態。

1.スーダンの通貨であるスーダンポンド(SDG)が暴落、ドル高×SDG安に
2.経済難でエネルギー分野の補助金がカットされ、物価が上昇
3.ロシア・ウクライナに主食である小麦輸入の8割強を依存→食糧難に
4.クーデターによる援助停止やウクライナへの支援一極化による孤立

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職業訓練を経て、うまれた変化とは?第3回(全3回)

スーダン現地駐在員 橋口 佑太
2022年5月 6日 更新

今まで3回に渡って職業訓練の研修生に対してのインタビューをお伝えしてきました。
第1回インタビュー(溶接)
第2回インタビュー(溶接)

最終回にあたる今回は、スーダンで移動に欠かせない乗り物、リキシャ・トゥクトゥク修理(メカニック)の訓練生と講師の方へのインタビューです。それぞれの生活や心情の変化、是非お読みください。

訓練生⑧ ムハンマド(18歳)

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"私はカドグリのシャイール地区の出身です。物心ついた時から10年間パン屋で働いてきましたが、同じ日々の繰り返しで技術が伸びることも無かったので、行き詰まりを感じていました。そんなとき、同じ地域の友人が職業訓練の登録が行われていることを教えてくれ、自分も行ってみることにしました。それ以来とても充実した日々を送れています。子どもの頃に沢山苦労をした分、JVCの職業訓練で大変や苦しいと感じたことはありません。様々な車種を自力で修理できるようになった事を誇りに思います。機械を大切にすることを覚え、何年か前までやっていた他人の車に石を投げつけるような子供染みた遊びはしなくなりました。生活のリズムも整いました。朝5時に起き、シャワーを浴びて、紅茶を飲んだら仕事。夕方4時に仕事を終えたら、そのあとは友人とサッカーをしています。帰宅したら夕食をとって寝るだけです。将来は地元のシャイールで自分の工場を持てるよう頑張りたいです。"

訓練生➈ フセイン(18歳)

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"私はここに来る前、金鉱山で働いていました。常に健康被害や崩壊の危険に晒される職場でした。ある日、地域の学校で教鞭を取っているコミュニティリーダーが職業訓練の募集がある事を教えてくれ、安全な職場で働くためには技術が必要だと思い、参加しました。今では、メカニックの技術に魅了されています。細かな機器の扱い、部品の組み立て、電気系統など高度な技術を身につけて、人の役に立てることが嬉しいです。お給料で家族に砂糖やコーヒー豆を買ってあげることもそうですが、車両の故障で困っている人を助けてあげられた時に、格別の満足感を得ます。単なる力仕事より、技術を追求する職種の方が断然自分に適していると思うので、今後も腕を磨いて行きたいです。"

訓練生➉ ハーリド(15歳)

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"私はこの職業訓練に参加する前は特に何もしていませんでした。友達もおらず家で引きこもって、家族にも疎まれるような存在でした。元々母がコミュニティリーダーに相談していたのか、ある日JVCという団体が職業訓練をやると言うことで自分も引っ張ってこられました。最初は何がなんだかよく理解できず、授業でエンジンやギアなどの概念を説明されても意味不明でしたが、諦めることなくそれらの概念を一つ一つ理解していき、やがて学びが喜びに変わりました。今では沢山の同僚に恵まれて、お客さんとも関わりがあるので、もう一人じゃないということが本当に嬉しいです。自分の努力で苦境を打破出来たことに達成感がありますし、生産的な生活を送っていると、明るい未来を感じます。"

訓練生⑪ マグブール(22歳)

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"私は家族を支えるために働いています。母が左手に怪我をしていて働けないことと、兄弟たちはみな学校に通っているので、自分が収入を得る必要があります。元々メカニックには興味があったので、JVCの職業訓練に巡り合えたことは本当に幸運でした。天職にありつけた事で働くことが苦にならず、今は力をつけるため人一倍働いています。朝6時には出勤し、皆が帰宅した後も午後6時7時くらいまで残って仕事に励んでいます。平日に安定した仕事に打ち込めているお陰で休日はのんびりと過ごせます。金曜日のお祈りの他は、洗濯や家事、あとは体を休めるだけです。家族にお金を入れているため中々自分で使える分が残りませんが、近いうちに自分の工具セットを持って、ファトヒ先生のようなプロフェッショナルを目指したいです。"

訓練生⑫ムハンマド(24歳)

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"私はカドグリのムルタ地区の出身です。子どもの頃から機械について勉強したいと思っていました。機械産業が盛んなカドグリでは、時折職業訓練が行われていることを知っていましたが、長い間登録する機会に中々ありつけないでおり、もどかしい日々を過ごしていました。ある日JVCが訓練生の登録を行っていたところに、私は偶然通りがかりました。気になって覗いてみると、自分のことも受け入れてくれるというので嬉しくなってすぐに登録しました。以来、沢山の勉強と訓練をすることが出来て多くの変化が生まれました。以前は自分に自信を持てず人の目を気にしてばかりいましたが、今では自分の腕に自信があるので、胸を張って歩けます。精神面でも、鉄や油に触れながら機械と向き合って行く中で忍耐力が付きました。収入も安定してきたので、次の目標は結婚して家族を持つことです。"

メカニックの講師、ファトヒ先生からのコメント

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"JVCの職業訓練の圧倒的な強みは課程修了後のフォローアップにあります。職業訓練を提供する団体は他にもありますが、大抵の場合、修了後は道具箱を配布して終了です(その道具箱が市場で売られることがしばしば)。その点JVCは技術の習得はもちろんのこと、就職後も訓練生たちが市場に溶け込んで行けるよう、長い期間にわたってコミュニケーションを取ってくれるので、生徒の安心感が違います。

今回の職業訓練プログラムにおいて、様々な課題がありました。苦労したのは生徒の出席率を安定させることです。ほぼ全員の生徒が貧困家庭にあるため、何かを学ぼうにしてもその日を生き抜く資金が無く、稼ぎに出ると言って授業を休まざるを得ない事があります。例えば生徒のムハンマドなどは手間暇かけて焼いたレンガを100個売ってやっと13000スーダンポンド(日本円で2500円程度)の稼ぎになるわけですが、欠席が多くては職業訓練にならないので、午前午後の時間帯に分けて生徒が来やすい時に工場で実地訓練を受けられるよう工夫しました。JVCの職員さんにはいつも相談に乗っていただいただけでなく、食事の提供、交通費の負担など多様な支援を通じて出席率の安定、延いては生徒の課程修了に貢献してもらいました。

プログラムの構成についても、実地訓練に入る前に理論を学ぶ期間が十分確保されていたことが指導する立場として助かりました。今回の職業訓練のプログラムは訓練生たちが彼らの年齢故に学校への編入が叶わないという問題を解決するという趣旨の下、立案されたと理解しています。「年齢が高い」と言っても彼らはまだ10代後半、20代前半の若者で技術は問題無く体得出来ました。

カドグリの地はアラブ系・ヌバ系民族の武力衝突に苛まれてきました。訓練生にはアラブもヌバも混在していますが、JVCの職業訓練プログラムは互いのことを理解し合う最適なプログラムだったと感じています。同じ避難民として様々な場所から集まった彼らが同じ課題に挑戦し、同じ釜の飯を食う。まるで一つの大きな家族のようにこの時代を生き抜く。こうした体験を通じて人間として成長出来ていることが日々の言動からも顕著に見て取れ、指導者冥利に尽きます。JVCさん、日本の皆さん、ご支援本当にありがとうございました。"

訓練生とファトヒ先生の集合写真訓練生とファトヒ先生の集合写真

職業訓練を経て、うまれた変化とは?第2回(全3回)

スーダン現地駐在員 橋口 佑太
2022年4月18日 更新

職業訓練の全過程を終えて、訓練生や講師の方々がどのように感じているのか、前回の現地ブログでお送りしました。

今回も、引き続き溶接の訓練生2名にインタビューを実施!JVCの職業訓練を経て、一体どのような変化があったのでしょうか。

訓練生➄ ファタハ(18歳)

溶接の訓練生ファタハ溶接の訓練生ファタハ

"私は反政府地域のカチャ出身です。小学校2年生までは学校に通っていましたが、家計の問題でしばらくは西コルドファンのハラサーナという場所にある親戚の商店で世話になっていました。

その後カドグリに来て畑を耕していた中、紛争が勃発。兵士でもあった父は従軍後、大怪我を負って帰ってきました。父が家族の稼ぎ頭だったので、そこからは収入が途絶えてしまい途方に暮れました。

そんな時、コミュニティリーダーから職業訓練があると聞きました。昔から溶接には何処と無く惹かれていたので興味はあったのですが、どちらかと言うと他に生計を立てる手段が無いという安直な理由で顔を出しました。

大きな木の下でJVCが訓練生の登録を行っており、そこでイスマイルさん(JVCカドグリのチームリーダー)に出会って直ぐに入学させてもらえました。

そこからは何事も苦に感じていません。子供の頃に沢山の困窮と苦労をした分、学ぶことに意欲はありましたし、知識と技術が身につくというのはやはり単純に楽しくやり甲斐があります。

今は毎日が楽しくて仕方ありません。いつかは自分の工場を持ちたいと考えていますが、まずは12人いる家族をしっかりと養って行けるよう技術と稼ぎを上げたいです。"

訓練生⑥シャローン(19歳)

溶接の訓練生シャローン溶接の訓練生シャローン

"私は反政府地域のアンゴロの出身です。2019年までは学校に通っていましたが、その後2年間は仕事にありつけませんでした。時折、母の畑仕事を手伝ったり、あとはその辺でサッカーなどをして遊んでいました。

働きたいのに働けず、暇を弄ぶというのはとても辛いものです。

職業訓練に参加してからはとんとん拍子で進んで行きました。私の強みは仕事の正確さと速さです。簡単なベッドくらいであれば30分で溶接し終えることが出来ます。

仲間には水道公社に就職した者、行政の発注を受けて関連施設の建造をしている者もいますが、自分は暫くこういった家具を作り続けたいです。

毎日売れて収入になるというだけで無く、場数をこなす事そのものが練習になるという点がとても好きです。仕事のスピードもこうやって上げていきました。

カドグリには安定した家具の需要があります。若者の数が多いことから結婚に伴う新居、反政府地域ヌバ山地からの移住、時期的な買い換えなど、需要が絶えません。更にこの地域では木材で家具を作ると害虫被害に逢う恐れがあるので、金属製が好まれます。

私の父は3人の奥さんと結婚しており27人の大所帯なので、毎日の積み重ねで技術も上げながらもっともっと稼いでいきたいです。"

職業訓練を経て生まれた変化

職業訓練を終えた後も、知識や技術をさらに深めようとしている本当に力強い溶接の訓練生たち。今後もJVCの職業訓練での経験が活きてくれることを、心から願います。

ここまで溶接の訓練生や講師へのインタビューをお送りしてきました。
最終回となる第3回では、スーダンで欠かせない乗り物であるリキシャ・トゥクトゥクの修理技術を学んだ訓練生と、その講師の方々へのインタビューについてご紹介する予定です。ぜひご期待ください!

職業訓練を経て、うまれた変化とは?第1回(全3回)

スーダン現地駐在員 橋口 佑太
2022年4月 4日 更新

去る2月、2021年に始まったJVCの職業訓練支援のプロジェクトが終了しました。

講義と実地訓練の両方を経て、過程を修了したほぼ全ての生徒が街の工場などに就職することが出来ました。今後は関係機関、コミュニティリーダー、ユースリーダーなどにフォローアップをしてもらいながら、それぞれ大人として仕事をして行きます。

全過程を終えた訓練生たちがどのように感じているのか、彼らの感想を聞いてみましょう。今回は全3回ある中の第1話目、溶接の訓練生・講師です。

訓練生① ムルタダさん(23歳)

ムルタダさんムルタダさん

"数年前に反政府地域からカドグリへ引っ越してきました。カドグリに越してくる前は辛いことが多かったので、出来れば過去のことは話したくありません。

私は地域のユースリーダーの告知を通じてJVCの職業訓練プログラムについて知りました。以前はぶらぶらと定職にも就かず道端でサッカーなどをして遊んでばかりいたので、このプログラムに入ることに迷いはありませんでした。訓練中、理解できない理論などもありましたが、先生に沢山の質問をすることによって克服して行きました。

コースの終了後、ハサン・ジョマ先生の工場でアシスタントとして実地訓練までさせてもらうことができ、お陰様でカドグリの水道公社に正規職員として入社することが出来ました。これで生計を立てて生きていくことが出来るので、やっと自分の未来へのスタートラインに立てた気がします。"

訓練生➁ ハーリドさん(16歳)

ハーリドさんハーリドさん

"私は7人家族で、父の収入では学費を賄いきれなかったので、小学4年程度までしか学校には行っていません。JVCの職業訓練プログラムに入る直前は街中でぶらぶらと遊んでいましたが、それよりも前のことはハッキリとした記憶もありません。

ある日、街のティロ地区でJVCが訓練生の入学登録をしていました。私はその場に居合わせなかったですが、友人に凄いチャンスだと言われ、後日慌てて申し込みに行き、無事入れてもらうことが出来ました。

実際に溶接の職業訓練を受講してみて、自分の才能が開花したと感じています。知識を身に着けることは勿論、技術もどんどん上達していき、多くのものを作れるようになりました。工場で働いていて一番嬉しかったのは、人脈が広がったことです。仕事を通じて、いろんな地域の沢山の人々と巡り合うことができ、とても刺激を受けています。

そんなところにハサン・ジュマ先生から水道公社の正規職員として働かないかと推薦を頂きました。大きなステップに戸惑いもありましたが、有難く受けさせて頂くことにしました。まず収入の面で、今までは家に日額300-400SDGしか入れられてませんでしたが、大幅に増える見込みです。

しかし一番の決め手になったのは自分の好きな職業でより技術を伸ばせると感じたことです。小さな工場では作れるものも限られていますが、大規模な会社で仕事をすれば、より高度な技術を身に着けられるので、とても楽しみにしています。ここまでありがとうございます。"

訓練生➂ イブラヒムさん(22歳)

イブラヒムさんイブラヒムさん

"私はカドグリの南方ダバカヤという場所から来ました。幼少の頃は父が鉄道関連の仕事をしていたため、ポート・スーダンに住んでいたこともありましたが、そのあとは家族でヌバ山地に帰りました。ヌバ山地のような南コルドファンの奥地では就学・就業率が低く、私は小学3年までしか修了していません。ダバカヤでは仕事も無いので、2019年にカドグリにやってきました。

ある日広場でサッカーをしていたところ、コミュニティのリーダーが来て、職業訓練の話があることをみんなに紹介してくれました。皆、遊んでばかりはいられないし、収入を得るためには技術が必要だということはわかっていたので、迷わず飛び込みました。今はハサン・ジュマ先生の工場でアシスタントとして横に付かせてもらってます。

仕事を通じて、色々な喜びを知れました。自分の中に知識や技術が蓄積していく喜び、沢山の人と知り合える喜び、「人に教える」ということの喜び、などです。いつかは自分も家族がいるこのカドグリに工場を持ちたいと考えています。

人に教えるときはまず理論。その次に理論の復習も踏まえながら、実践。いきなり上手くいくわけは無いので、生徒の失敗は暖かく見守って実践の繰り返し。指導とはこういうものだとハサン・ジュマ先生から教わりました。今後も先生を支えて行きたいです。"

訓練生④ ジャバレーンさん(15歳)

ジャバレーンさんジャバレーンさん

"私は南コルドファン州トロジの出身で、今は家族とともにカドグリのタファリ地区に住んでいます。去年までは学校に行っていましたが、私の家は8人家族と家計が苦しいので、今まで一人で働いていた父を支えるため、学校を辞めて働くことにしました。今は日当500SDGのうち200SDGを交通費に、300SDGを家に入れています。

学校を辞めたあと仕事を探していたところ、親戚がJVCの職業訓練プログラムを紹介してくれ「このチャンスを逃すな」と言われました。今はハサン・ジュマ先生の工場で実地訓練中ですが、このプログラムに入ってから生活が良くなったと思います。

仕事にありつけない間はあてもなく一日中遊んでいるだけでしたが、
今は仕事を一生懸命こなし、帰宅後はシャワーを浴びてからリラックスするというワークライフバランスが出来ました。サッカーが好きなので、夜はサッカーを見ています。"

プログラムを支えてくださった方々

今回の職業訓練において、
協力してくれたザカート(喜捨)局のマダム・サフィアさんと、溶接の講師であるハサン・ジュマさんにもお話をうかがいました。マダム・サフィアさんは職業訓練場の提供、講師陣の選定・調整、訓練生の監督など幅広く活動を支えてくれました。

プログラムの協力者マダム・サフィアさんのコメント

マダム・サフィアさんマダム・サフィアさん

"JVCの職業訓練を通じて、生徒たちに様々な変化が見られました。礼儀が良くなったり、気を配れるようになったり、髪形など身なりも正すようになりました。

職業訓練の意義はただ生徒たちが手に職をつけて、生計が向上するというだけでなく、することが何もない若者に取り組むべきことができ、
「ぼーっと時間を過ごさない」という点にあります。

カドグリでも麻薬が流行し健康被害が出ることもありましたが、JVCの職業訓練のおかげで、それを経験せずに済んだ若者、そして更生できた若者がいます。更にJVCの支援で助かっているのは、プログラムの修了後に証書を発行してくれる点です。この証書と確かな技術があるからこそ、雇用する側も信頼が持てるのです。"

溶接の講師、ハサン・ジュマ先生への質問①

ハサン・ジュマ先生ハサン・ジュマ先生

なぜ、水道公社から求人の案内がきたときに、ムルタダ君とハーリド君を推薦しようと思ったのですか?

"沢山いる訓練生の中でも、彼らは忍耐力に優れていたからです。日によっては日当が少ないこともありましたが、この二人は文句も言わず黙々と訓練に励んでいました。努力の甲斐あり、(溶接の)技術的にはドア・窓・椅子・机など数多くのものを作れるようになったので、自信をもって推薦することが出来ました。"

ハサン・ジュマ先生への質問➁

数ある工場の中には、訓練生の退職率が高い場所もありますが、ハサン・ジュマ先生の工場はとても評判が良いです。ムルタダ君やハーリド君のように、次のステップへ進める訓練生も沢山出ています。何が違いだと思われますか?

"私は1980年、高校の入学試験で不合格となり進学することが出来ませんでした。そこから彼ら訓練生と同じように工場に入った訳ですが、こちらもなかなか上手くは行かず沢山の失敗を重ねました。

しかし、そのたびに親方に支えてもらい前に進むことが出来たので、自分も年を取ったら同じように次の世代を育てることが自身に課せられた使命だと考えるようになりました。ですので、ただ単に自分の工場で「働かせてやっている」と考える親方と私のような指導者を志す者では訓練生の満足度に違いが出るのだと思います。"

集合写真-先生、訓練生、JVCスタッフ集合写真-先生、訓練生、JVCスタッフ

「私も勉強したかった」という母親が今、果たす役割

スーダン現地駐在員 今中 航
2022年2月21日 更新

補習校を修了した子どもたちの90%近くが現在も正規学級で継続して勉強していることは以前の報告でもお伝えしましたが、JVCがどのような取り組みをしたのか、また取り組みによって生まれた変化を、一人の母親の事例を紹介します。

▼動画でもご紹介しています!

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本記事は会報誌「Trial & Error」349号(2022年2月発行)「[報告]スーダンでクーデター勃発」に掲載したものです。

【職業訓練】溶接の訓練に参加している研修生たち【職業訓練】溶接の訓練に参加している研修生たち

1980年代からの南北戦争、 度重なるクーデター、2011年の南スーダン分離独立に伴い勃発した南コルドファン紛争。19年に長期独裁政権が崩壊するも、21年10月にはクーデターが勃発。未だスーダンの政局は安定しません。こうした背景から小学校も卒業できない若者が多いですが、学びたい、家族を助けたい、と、JVC の就学支援と職業訓練に積極的に参加しています。困難な状況でも続けるしかない、平和を願う住民への活動を紹介します。

首相拘束と抗議デモ

 2021年10月25日の昼(スーダン時間の早朝)、スーダンの首都ハルツームに駐在するスタッフから、 クーデター発生の電話が入りました。「(国の最高機関の主権評議会議長で軍部の)ブルハン氏がアブダラ・ハムドゥーク首相や閣僚数名を拘束。インターネットが遮断された。」急いでネット検索すると、「首相の拘束に対して民主化勢力が抗議デモを呼びかけ、軍本部近くでは、民衆に軍が発砲。死傷者が出ている。」との速報を複数確認しました。

 この日から断続的に大規模デモが行われ、駐在員宿舎は大通りに近いため、「デモの最中には長時間にわたり銃声が聞こえる。」とのことでした。 このような状況下、ハルツームの日本駐在員と現地スタッフは在宅業務を行うことにしました。南コルドファン州カドグリのJVC事務所に電話連絡すると、カドグリでは大きな混乱がないと確認し、通常通り活動を行うことにしました。

就学支援と就職

 JVCは、カドグリ周辺の紛争による避難民が多い地域で、学校に通う機会を逸した児童を対象に補修校支援と職業訓練を実施しています。

 補修校支援は、約6カ月間、補修学級での学習で一定の学力を身につけた後、正規の公立小学校に橋渡しすることを目的としており、1年目の20年度は、当初計画320人を大きく上回る約400人の児童が正規校に編入しました。21年度は、291人の児童が9月に新学期を迎えた正規校に編入しました。また、新たに就学期を迎える児童が就学機会を逸しないよう、保護者、学校、行政との連携強化も行っています。不就学の理由を親たちに尋ねると、「入学金や学費を払えない」、「制服を買えない」との答えが多く、学校や行政は、「多くの親が子どもたちに家計を助ける仕事や家の手伝いをさせ、教育の必要性を理解していない」と言います。このように、三者に異なる問題意識や課題があることから、JVCスタッフがファシリテーターとなり、三者間で定期会合を持ち、就学の障害となる背景や解決方法などを話し合う場を提供しています。

 また、若者の就職機会が限られる状況を鑑み、21年8月から、主に避難民の多い地域の若年層を対象に、トゥクトゥク(三輪バイク)整備、溶接、縫製、食品加工の4職種の職業訓練を実施しています。2~3カ月の研修後は、工場(こうば)などで1~3カ月間の実施訓練を行い、その先の就職や生計向上に繋げることを目指しています。研修生の大半は、紛争や経済的事情で小学校をドロップアウトしています。また、多くは無職ですが、皆「親や兄弟を助けるために仕事がしたい」とやる気に満ち溢れていて、どの職種も出席率は高いです。すでに受け入れ先での実施訓練を開始しており、最終的な就職や生計向上を目指し、モニタリングを行う予定です。

 このように、カドグリでは大きな混乱はなく活動を継続しています。しかし、南コルドファン紛争の終結が見えないことや、経済悪化は人びとを不安にさせています。

安定しない政局でも諦めない

 未だ安定しないスーダン政局。19年4月、ガソリン不足やパンの値上げに耐えかねた国民が、打倒政権を呼び掛ける平和的デモで30年にわたる長期独立政権を追い詰め崩壊させました。その後、民政移管に向けて発足した暫定政権は、20年10月南スーダンの首都ジュバで国内各地の反政府勢力との和平協定に漕ぎつけましたが、南コルドファンを拠点とするスーダン人民解放運動北部(SPLM-N)の分派を含む一部反政府勢力はこれに参加しませんでした。また、財政再建のための補助金削除や、外国為替レートの変動制導入による通貨の切り下げなどの影響で、21年のインフレ率は300%を超え、市民生活を圧迫しています。軍部が、経済悪化への市民の不満の増大を利用して、21年10月のクーデターを引き起こしたことは否定できません。

 ブルハン氏は、23年に予定の民政移管は行うとし、20年10月の和平協定を含め、これまでに調印した国際社会との合意は順守する意向を示しています。また、今回のクーデターから約1カ月後、主要政党「ウンマ党」の仲裁で、ハムドゥーク首相を復職させ、拘束した政治家らの解放にも合意しました。しかし、新たに指名された主権評議会のメンバーから、19年の民主化革命を推進した民主化勢力「自由と変革勢力(FFC)」が排除され、FFCは軍が関与するいかなる合意も受け入れないと強く抗議しており、軍と取引したハムドゥーク首相への批判の声も上がっています。また、SPLM-Nの分派が、ハムドゥーク首相が復権した政権と和平交渉を継続するのかも不明です。

 JVCスーダン/南スーダン事業は、11年の南コルドファンの紛争で分断された、政府側、反政府側、国境を越えて南スーダンの難民キャンプで暮らす人々、それぞれへの支援を続けていますが、紛争が終わらない限り人びとの困難は続きます。19年4月の平和的デモで解放されたスーダン市民は、今回のクーデターへの抗議活動で、「逆戻りはできない」「命を奪われても抵抗する」との強い意志を表明しています。今後も、スーダンの市民が望む民主化プロセスが定着するよう見守っていきます。

スーダン 地図

【補足説明:2011年の南コルドファンの紛争とその背景】
スーダンでは、南コルドファン州を含む歴史的に劣位に置かれ差別の対象とされてきた周縁地域の人々と、アラブ系のエリートが占める政府との間で1980年代に勃発した南北内戦が約20年間も続きました。2005年に包括的和平協定(CPA)が締結され、2011年1月の国民投票により、「南スーダン」は分離独立し、南北は二つの国家に分離。
しかし、2011年6月、スーダン側に取り残される形となった南コルドファン州において、南北共同統治の終了に合わせた州知事選挙を巡り与党と反政府勢力スーダン人民解放運動北部(SPLM-N)との対立が激化し、大規模な紛争が勃発しました。


昨年10月25日の拘束から約1か月後に復職したハムドゥーク首相が、1月2日、民主派勢力の支持を得られず辞任しました。

復職後、民主化勢力は、ハムドゥーク首相がクーデターを主導した主権評議会の議長で軍部のブルハン氏と新たな権限分担等に係る合意を交わしたことを批判。同勢力からの協力が得られず、組閣も出来ない状況が続いていました。

これまでに民主化を支持する民衆によるデモが続き、治安部隊によるデモ隊への発砲などで60人以上の市民が死亡しています。ハムドゥーク首相の辞任は、断続的に続くこうした行為に対する抗議とともに、政治的混乱を収拾できなかった責任を取ったものとみられます。

上記の通り11月にハムドゥーク首相がブルハン氏との合意書に署名した際には、市民から「裏切者」と揶揄されることが多かったですが、いざ辞任となると「スーダンが困難な時期に首相という役職を引き受けてくれて感謝している」「ハムドゥークが辞任するのはとても悲しい」「これでますます情勢が不安定になった」という声が街でもSNSでも見られました。

2022年に入ってからも1週間に2回程は大規模なデモが呼びかけられており、その度に治安部隊はデモ隊が集結しないよう主要な橋の封鎖、共和国宮殿や軍本部へ続く道路の閉鎖、インターネット・電話の遮断を繰り返しています。しかしデモ隊に対し催涙弾や実弾が使用され、その度に数名の死者、数百名の負傷者が発生している状況です。

大規模デモが予定されている日には省庁・学校等は休みになる他、ナイル川にかかる橋を越えて通勤・移動をしている市民は自宅待機を余儀なくされる等、市民生活にも大きな影響が出ています。一方、デモがない日には、普段と変わらない日常があり、常に混乱しているわけではありません。

国連や国際社会による外交的努力も見られますが、依然として民主化勢力と軍部の対立は溝が深く、事態が収束するまでには時間を要すると見られています。

2019年にハムドゥークが首相に就任した際には #ハムドゥークありがとう、というハッシュタグが流行語になるなど、多くの国民がスーダンの未来に希望を抱いた2019年にハムドゥークが首相に就任した際には #ハムドゥークありがとう、というハッシュタグが流行語になるなど、多くの国民がスーダンの未来に希望を抱いた

10月25日にスーダンの首都ハルツームで首相や複数の閣僚が拘束されてから、約1か月後の11月21日、軟禁下にあったハムドゥーク首相が復職しました。

ハムドゥーク首相は、クーデターを率いた主権評議会の議長で軍部のブルハン氏と、新たな権限分担や拘束された政治家の釈放などを含む合意書を交わしましたが、これに対し、2年前の政変後にハムドゥーク氏を首相に指名した民主化勢力は、「合意はクーデターを正当化するものだ」と批判しています。

首都ハルツームの街は比較的落ち着いていますが、新たな政治的な動きや政治的記念日にあわせて、Millions' Marchと呼ばれる大規模デモが呼びかけられ、散発的な抗議行動も続いています。軍は関与を否定していますが、治安部隊はデモ隊の鎮圧のために催涙弾や実弾を用いるなどし、これまでの死者43名、負傷者は数百人といわれています。

ハルツームのJVCスタッフは、デモが予定されている日時には、住居の窓から離れる等の対策をとって自宅待機するなど、安全を第一に業務を行っています。

依然として軍部が実権を握るこの体制をスーダン国民の多くは承認しておらず、民衆が軍部に対して「交渉せず、協力せず、妥協せず」の姿勢を貫いている事からも、デモなどの抗議行動が継続することも予想されます。引き続き現地の流動的な情勢を注視し、現地スタッフ及び駐在員の安全確保に努めて参ります。

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(写真)車に乗って抗議に参加する子どもたち


25日、軍部がハムドゥーク首相を含む暫定政府および主権評議会の文民メンバーの大半を拘束。翌26日に主権評議会の議長で軍出身のブルハン氏が、暫定政府と同評議会の解散を発表し、スーダン全土に非常事態を宣言しました。

ブルハン氏は、2023年に予定されている民政移管は行うとし、ジュバでの反政府勢力との和平協定を含め、これまでに調印した国際社会との合意は順守する意向を示していますが、軍が完全に実権を掌握し民主化の取り組みが挫折する懸念が高まっています。

また、国際社会からは、民政移管を危うくする行為だと批判があがっています。

首都ハルツームでは、多数の市民がクーデターや首相らの拘束に抗議するため、軍施設周辺に押し寄せています。これに対して軍が発砲し、デモ隊の7人が死亡、140人以上が負傷したと報じられています。

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(写真)抗議デモの様子


現地ではネット回線や携帯電話の使用に関しても不安定な状態ではありますが、活動地カドグリと日本人駐在員のいるハルツーム間でも連絡が取れ、通常通り職業訓練等の活動を行っているとの情報も入り、少し安堵しております。

しかし、多くの商店やビジネスが市民的不服従を示すため、また、暴動などを懸念して休業せざるを得ず、コロナの休校からやっと再開した学校も再び休校になるなど、市民生活への影響が心配です。

予断を許さない状況ではありますが、JVCは、2019年の政変時も活動地の南コルドファンでは、ほぼ通常通り活動を行っていました。今回も出来る限りの活動を続ける方向で、現地と連絡を取り合いながら、状況を注視していきます。

今後も安全を第一に活動を継続していきますので、引き続きのサポートをお願いします。

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(写真)食品加工の研修の様子

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(写真)洋裁の研修の様子