もう3年半も前、私が初めて南部スーダンに来た頃、既に1年以上駐在していた日本人の援助関係者から「ここには何もないから、大変だぞ」と言われたことを覚えています。「スーダンの前はどこの国に赴任していたんだい?」と尋ねられて、「いや、途上国での仕事はこれが初めてです」と答えたら、
「そうか。それはかえっていいかもしれないね。下手にほかの途上国での勤務経験があると、どうしても比較してしまうからね」
「それは、どういう意味ですか?」
「それだけここには何もないってことだよ・・いやいや、あまり気にしないで」
ヌバ山地は丘陵状の山々の連なり彼が言った通り、「NGOの活動現場なのだから不自由な生活は当然だろう」と思っていた私にとって南部スーダンの生活は「こんなものか」という程度だったのですが、やがて、国連やNGOの外国人スタッフと話をするようになると、彼らが一様に「とんでもないところに飛ばされた」と言っていることに気づきました。そして、私自身が出張で隣国ケニアやウガンダの首都に行くようになると、そこには電気や水道があり、本屋や映画館もあるしアイスクリームも食べられることが分かって、「なるほどこんなに違うのか」と思ったものです。
アイスクリームはともかくとして、独立後内戦に明け暮れていたこの国が社会インフラ整備の面で遅れているのは紛れもない事実。援助関係者は「だから、自分たちが全部支援しなくてはいけないんだ。井戸も、学校も、診療所も」と言います。
しかし、物事には常にオモテとウラというか、ひとつの見方があれば、また別の見方もあります。「内戦で荒廃して何もない」というのはひとつの見方。でも、それとは違った視点で考えてみることもできます。
南コルドファンの州都カドグリで、道端のお茶屋さんで紅茶を飲んでいると、地元の年配の方が私に「日本人か?」と英語で話しかけてきました。「そうだ」と答えると、原爆被災を始めとして第二次大戦中の日本のことを色々と聞いてきます。私が、本で読んだ被災地の話や、親の世代から聞いた空襲の話、戦後の食糧難の話をすると、彼は、自分が体験した内戦中の話をしてくれました。
州の中央部、ヌバ山地の村に住んでいた彼は、内戦中も村に留まったのだそうです。そして「ハルツーム政府軍の空襲が始まると山の中に逃げ込んだんだ。ヌバの山中にはたくさんの洞窟があってな・・その中に隠れていたんだ。時には1ヶ月、2ヶ月も」
「たいへんな生活だったが、でも、山の中にいる限りは飢えて死ぬことはなかった。山には水があり、食べ物もたくさんある。果物、木の実、小さな動物も獲れる」そう言って彼は笑っていました。
山では今も果実などが豊富に採れる。山中の村からふもとの市場へ、マンゴーを運んで険しい道を行く女性たち 内戦の間、この地域がいわゆる「開発」から取り残されたのは事実です。しかし、内戦を生き抜いた村々には、そのための自然の恵みや、それを生活に活かす知恵や技術があったはずです。
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