終わりなき紛争、イラクの現実の記事一覧
(前回より続く)
私たちは新しい生活を始めましたが、夫はイラクを出ることを決めました。それは簡単ではなかったのですが、当時タクシーの運転手をしていた夫の兄弟が、他のアラブ諸国からイラクにやって来た人たちと出会ったことが契機になりました。夫は、その人たちと一緒に1994年にイエメンに渡り、その10か月後、私たち家族も後を追いました。渡航許可や航空券に必要な40万イラクディナールを工面するために、車や家具など持ち物すべてを売り払わなければなりませんでした。
(前回より続く)
私が生まれた1966年、この国はバース党政権下にあり、私たちクルド系の家族は政府から数々のいやがらせを受けていました。クルド系の名前をつけることも禁止されており、学校ではクルド系であることを隠していたことを覚えています。私の名前はアラブ系の名前で、それは私にとって大きな問題ではないのですが、現在、クルド地区の検問所で確認を受ける時に「なぜアラブ系の名前なのにクルド系なのか」と聞かれます。アラブ系の人々は、治安上の理由から検問所を通ることができないからです。
紛争や貧困によって苦しむ中東やアフリカから欧州への難民流入が続いています。死者も数千人に達し、欧州連合を中心に対策を講じていますが、加盟国間での意見は一致する様子はありません。難民に対する受け入れを反対する人々による暴力行為も発生するなど不穏な状況が続いています。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ヨーロッパを目指す難民のうちイラク人は10%を占めます。
JVCの現地パートナー団体INSANの元スタッフであるインティサールさんは、2009年よりJVCとINSANがイラク中北部の都市、キルクークで実施してきた「子どもたちとつくる平和ワークショップ」の中心的なスタッフでした。彼女自身が難民であった経験を織り交ぜながら、現在イラクが抱える危機を次のように話してくれました(聞き取りは五月中旬頃)。