前カンボジア現地インターンの萩原大地さんが、3月下旬に再びコンポンクデイを訪ねてくださいました。私(現カンボジアインターン石山)は、現地に来る前も来てからも、萩原さんが書いたカンボジア現地通信を頻繁に読んでいた一人であり、せっかくカンボジアでお会いできたのだからと思い、現インターンとしてインタビューをさせてもらいました。
カンボジアに出会うまで
石山―さっそくですが、カンボジア現地インターンになるまでの経歴について聞いていきたいと思います。まず、萩原さんはどんな子どもだったんですか?
萩原:そこからですか。(笑)小学校低学年の頃は活発でしたが、小学校4年生で周りの友達よりも早く声変わりをしたのをきっかけに、人前に出ることや人と積極的に話すことが好きではなくなりました。小学校の頃にクラブ活動でバスケを始めて、中学もバスケ部。高校では顧問が好きではなかったこともあり、1年生でバスケ部を辞めました。大学は桜美林大学のリベラルアーツ学群を選びました。
―リベラルアーツ学群とは・・・?
入学の段階では専攻を決める必要がなく、2年生の秋から専攻を1つ決めて、そこから専門的に勉強をしていける学部です。入る段階で、「これ。」と決めて勉強したい分野がなかったことと、留学プログラムがあったことが、この学部を専攻した主な理由です。
―では、高校の時から留学に行きたいという意志があったんですね!
昔から海外になんとなく興味があって、バスケをしていたからNBAにも興味があって、行ってみたいという思いがありました。それで、大学1年の8月から12月に大学の留学プログラムを利用してアメリカへ語学留学に行きました。NBAももちろん見ましたよ。留学先の大学のバスケ部も強かったから、大学のスタジアムで行われる試合を見に行くのも楽しかったです。近所のおじさんとかも見に来るから、長時間並んでチケットを買わないといけないんです。
―日本ではあまりない光景ですね!その後留学から帰ってきて、どの分野を専攻したんですか?
国際協力を専攻しました。何かに特化して、というよりは、国際協力全般について学びました。
意外な初カンボジア渡航
―大学での印象的な思い出はありますか?
留学・大学祭の実行委員・カンボジア渡航の3つですかね。大学祭の実行委員は友達に誘われて入ったんですけど、実行委員の友達とは今でも付き合いがあり、良い出会いでした。カンボジアには、日本で当時インターンをしていた団体に派遣され、2013年の選挙監視のためにプノンペンに来ました。
―カンボジアの選挙について詳しく教えていただけますか?
カンボジアの国会に当たる国民議会選挙は5年に1回。投票期間は1日です。投票の前の何週間かで選挙キャンペーンのようなものがあります。街宣もあるし、お金を渡したりする不正もあります。当時は国外追放されていた野党(救国党)の党首が戻ってきて、野党に勢いがありました。結局選挙は与党(人民党)が勝ちましたが、野党側は不正があったと主張し、その後の議会をボイコットしていました。不正が起こるのは、選挙監視で人が派遣されて来るよりも全然前なので、どうしようもないところがあります。これが初めてのカンボジア渡航で、次はJVCのインターンとしてカンボジアに来ました。
カンボジア現地インターンとして
―どうしてJVCのカンボジア現地インターンになろうと思ったんですか?
大学卒業後は友達とアフリカに行く計画がありましたが、行けなくなってしまい、何か他にないかな、と探していろいろなつてを辿った結果、JVCカンボジア現地インターンを見つけました。農業に興味があったので、その分野で活動している事業ということで、2014年8月頃にカンボジアに来ました。
―カンボジアでの活動をたくさん聞こうと思っていたのに、来るまでのこともたくさん聞いてしまいました。(笑)こういう経緯でカンボジアに来たんですね。カンボジアではどのような活動をしていたんですか?
現地通信を書いたり、農場で作業をしたり、カンボジア人スタッフについて行って村の様子を見たりしていました。
―カンボジアでの活動で印象に残っていることや思い出にはどのようなものがありますか?
今までの現地通信に書いてあることが全てです。あんまり何かができた訳ではなかったので、現地通信には思ったことを正直に書こうと決めました。JVCの活動の良い面だけを書くのではなく、失敗や疑問も書こうと思っていました。現地事務所を見に来てくださる方には良い面を見せるので、そうではない面も見てもらってよいのではないかと思ったからです。JVCの活動がだめだと思っていたのではなく、JVCの内側の人間が活動に対してもっと考える必要があると考えていました。
―現地の生活で大変だったことはありますか?
あの部屋での生活は、どう考えても大変でしょうよ。(笑)でも暮らせましたし、すぐに慣れはしました。すぐに小さな蟻が発生してしまうので、食べ物や飲み物をそのまま置いておけないことは面倒でした。農場で土を掘ると大量に発生する赤い蟻に噛まれるのもつらかったですね。でも、水とか虫に関しては、半年いるんだからその問題からは逃げられないと思い、序盤で気にしなくなりました。あと、見た目が違うのはもちろんあるけれど、いちいち虫などに反応したりすると日本人感やよそ者感が出てしまうのが嫌でした。
―私もそうなのですが、市場でじろじろ見られるのとか嫌でしたか?
そりゃ嫌でした。でも、こっちもこっちで市場で写真を撮ったりするからお互い様なのかなとも思います。それにしてもじろじろ見てくるけど、言語があまりわからなかった分、気にならないことも多かったですね。
―何かカンボジアでやり残したことはありますか?
全体的に中途半端だったと思っています。でも、そのままカンボジアにいても同じだと思ったので、区切りをつけようと思って半年で日本に帰りました。
帰国後のカンボジアとの関わり方
―日本に帰ってからはどのようなことをしているんですか?
地元の直売店で働いています。元々野菜に関係した仕事に就きたいと思っていたので。今は、野菜の仕入れから値段設定、売り場の配置、シフトの調整など、野菜売り場の全てを任されています。今回のコンポンクデイ訪問の目的は、コンポンクデイの様子が見たかったこともありますし、働いている直売店の野菜売り場をカンボジアのマーケットのようにしたいという意見が職場であるので、その調査も兼ねて来ました。
―日本のお店をカンボジアのマーケット風にするというアイデアは斬新ですね!最後に、日本に帰ってからカンボジアでの経験が活かせていると思うときはありますか?
意識しているところでは特にないですかね。自分で意識していないところであるのかもしれないですけど、海外では海外での生活、日本では日本での生活、というように考えています。
インタビューを通して
ひとつひとつ落ち着いて、よく考えてわかりやすく質問に答えてくださり、以前から萩原さんの書いた現地通信を読んで思っていたように、とても思慮深い方だと感じました。同じインターン生として、萩原さんがどのような経緯でカンボジアに来て、どのような活動をし、どのようなことを考えていたのかを知りたいと以前から思っていたので、今回このような時間が持てたことを嬉しく思います。日本の仕事先でもカンボジアを取り入れようとする動きがとても素敵だと思い、私も日本に帰ってからもカンボジア風を残しつつ生活したいなあ、なんて思いました。