木曜日の昼下がり
今日はラズメイサマキ小学校にお邪魔しています。カンボジアでは、木曜日は勤労日となっており、児童は校内の清掃など奉仕活動を行うため、通常授業はありません。
朝から子どもたちが、校庭を清掃したり、バケツに水を汲んで運んで植物に水をやったりと、精一杯校内美化に取り組んでいます。楽しそうに共同作業をする児童をみると、私の小学校時代の掃除の時間を思い出します。床のワックス掛けや、トイレ掃除をやったことを今でも覚えています。
素掘りされた池の水は濁っており、とても飲むことはできません。もちろん、日本の小学校のように水道があるわけではありませんので、学校に来ても子どもたちが飲む水はないのです。
私が小学生だった頃は、掃除で使った雑巾も水道水で簡単に洗えましたが、それはここではできません。日本では当たり前であったことが、カンボジアの農村では同じようにいかないのが現状です。
支援のあり方
2月は乾季ということもあって、学校の校庭にある、ため池の水は、強い日差しにさらされて日に日に減っていくばかりです。不足する水を節約して使いたいというのが本当でしょうが、水やりをしている子ども達は、バケツ一杯に水を汲んでいます。その分、ため池の水が枯渇するのも早くなります。それは、水にアクセスできない乾季の時間が長くなるということになり、ここに悪循環を見ているように思います。
できることは数少ないですが、自分たちできることは、ため池の周りに木を植えて日陰を作り蒸発する水の量を減らす、水やりする量を減らし、ロスを抑えることなどです。育てている空心菜も水を多く必要とするので、水不足に強い芋類の植物を植えるというのも一案です。
何が言いたいのか。
外部から井戸の支援や、ため池の支援は必要とされることもあるでしょう。しかし、元からある資源に、知恵や工夫を組み合わせて管理することがより大切になると思います。既存の資源をフル活用できているのか、人々の暮らしの知恵があっての支援だと思います。
学校の勤労日の子ども達の一生懸命な姿を頼もしく思う一方で、水不足に対処するライフスキルを磨くための時間の重要性を感じ、ここに環境教育の責任の重さを再認識しました。