完全無宗教のくせに、説話やお言葉を聞きかじって勝手に解釈するのが好きな私は、このお釈迦様が説いたという教えも(勝手に解釈にしている時点で罰当たりだが)大切にしている。オースオラリア人の同僚グレンさんから、度々の泥棒被害の話を聞いているので、しばらく家を空けて帰ってきたときは必ずこの言葉を心で唱えてからドアを開ける。執着を捨て、テレビが無くなっていても、DVDプレーヤーが行方不明でも泰然としていられるように。
だからなのか、単に忘れっぽいからなのか、村から戻ったスタッフがサンダルを見せてくれたとき、私は一瞬なんのことかわからなかった。それは6月19日の日記に記した、村で消えたサンダルだったのだ。村人が見つけて渡してくれたという。正直サンダル自体に執着は全くなかった。しかし今このサンダルは単なる「物」から「村人の誠意、親切」という「形のない尊さ」が具形化した存在に昇華した。だからこれからは大切にして、少しだけ執着します。