20歳の夏、初めて訪れたカンボジアでたくさんの物乞いを目にした。物乞いの中には障害者や小さな子供、老人など働くことが難しい人もいれば、働き盛りと見える男性や女性も多くいた。「この物乞いにお金をあげるべきか、どうか」ということで、一緒にカンボジアを訪れた仲間と共にたくさんの議論をしたのを今でも覚えている。当時20歳の私の仲間だけでなく、今現在、ラオスで国際協力を行う多くの外国人も「あげない」という立場に立つ人の方が多いように思う。
私が3年間過ごしたカムアンのラオス人の多くは500Kipかお菓子など何かしらのものを彼らに与えていた。それは「あげる」という行為よりは「あなたの事が見えていますよ。気にしていますよ」という事を示す一つの表現方法だったように思う。「お金をあげる」「あげない」というのは本当は問題にならないくらい小さな問題で、一番大切なのはその人が自分の視界に入っているか、その人の声が聞こえているかということだと思う。「無視:見えているのに、見ようとしないこと」は社会の中に大きな格差を作り出し、それが貧困を生み出す大元になりえることをこのラオスで生活した3年7ヶ月間で学んだ。20歳の時に出せなかった自分なりの答えに、ようやく今、巡り合ったような気がする。