ラオスの村人は実は大変なドゥーマン(努力家)なのではないかと思う。日本では学校や道の建設、電気の整備などは全て公共事業であり、国の仕事になっている。一人一人の国民がそのために汗を流す必要はない。ところが、ここでは国の財源やシステムがしっかり整っていないため、それまでも国民の仕事になる。村を良くしていくためには、村の中に公共事業を実施できるくらいの余力(ある程度の貯蓄)を蓄える必要があるのだ。そして、JVCやユニセフが作った米銀行は長い年月を経て発展し、その一助を担うまでになっている。では、その「余力」を蓄えられない村はどうなるのか?そのような村が今、まさに森や土地を諸外国企業に切り売りすることで自らの村の「余力」を蓄えようとしている。本当であれば国が担うべき公共事業のために。