うちの父方の実家は兵庫県の西宮、母方の実家は神戸市にある。12年前の阪神大震災で両方とも全壊し、今は跡形もない。
神戸市の実家は、代々、質業を営んでおり、蔵に納めてある質草のカビ臭さや、なぜか洗濯場の匂いを、子ども心によく覚えている。匂いの記憶とは本当に不思議なもので、大人になり、東京で生活していたとき、ひょんなことに同じ匂いに出会い、すっかり忘却の彼方にあった風景や記憶が鮮やかに蘇ったことがある。
神戸市街は、自分の感覚が体現された街だった。いや、神戸の街が自分のアイデンティティーをつくったのだろう。どこにいけば、なにが用意されているか知っていた。歩いてよし、車でよし。世界一素晴らしい街だった。そこでも、港や、六甲の草木、どぶ川に至るまで、匂いの記憶に満ちていた。
歳月は過ぎ、街は新しくなった。でも、あの実家の匂いは、もう帰ってこないし、新しい神戸の街は、匂いの記憶と一致しない。そう、自分の、あのどうしようもなく強い光を放っていた時代が、そっくりそのままぽっかり抜け落ちてしまったような錯覚になるのだ。この喪失感が埋められることは、もうないだろう。
わかっている。ただのセンチメンタルだ。