身内びいきで大変恐縮だが、ボランティアチームの小冊子の「ラオスの暮らし」を読み返していたら、以前、うちの嫁さんが書いた原稿があり、改めていい文章だなとおもったので、一部抜粋して、ここに再掲します。
解説を加えるのは野暮なんだけど、ポイントは、ラオスと筆者との距離感をきちんと描いている点。ラオスを誉めてもないし、けなしてもない。ただ、そこに横たわっているものを、丁寧に眺め、静謐なトーンで表現してあります。
-----
両手に野菜を下げて帰るころは、左手に見えるメコン川の残照が燃えあがる時刻だ。カランコロンと響くのは、悠然と家路につく水牛の首の鈴の音。炭で煮炊きをする家々から上る、やわらかな白い煙がもやのように立ちこめる。
パソコンでの個別宅配にくらべて、買い物にも調理にも時間はかかるが、「これが本来かかる、省略しない『時間』なのかもしれない」と思いながら、開け放ったドアから炭の匂いと子供たちの遊ぶ声が入り込む台所に立つ。
会社勤めをしていた独身のころ、ビルの中から夕暮れの空を眺めるたび、私は一生、夕焼けをこんなふうにガラス越しに眺めるのだろうか、と思ったことを、しばしば思い出す。一日で一番空が美しく輝く時、夕焼けの空を、どこでどのように眺めるか、それを基準に人生を選べないものか、などと夢想したころを。
土ぼこり舞う田舎町。メコンの夕陽。水牛の鈴の音。炭の匂い。この静かな生活は永遠に続くわけではないけれど、日本に帰って、何十年も経ったころ、ふいによみがえるであろう。私の一生の中でも、ひとつの、たしかな原風景として、いま、記憶の底に染みついている最中だ。