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1月31日(火)ラオスに純文学は成立するのか?

ラオス現地代表 名村 隆行
2006年1月31日 更新

山田稔の「コーマルタン界隈」を読みました。
まず、人を理解しようとする際の、等身大の思考プロセスに、とても親近感とユーモアを覚えます。出合った人物の性格を知ったかぶりせず、得られた断片的な情報と自らの思考のスペックに合わせて解釈したり、妄想したり、悩んだりする、その過程が、本当に上手に書かれてます。思考の先走りに伴うオチがついていたりして、純文学なのに、声をあげて笑ってしまいました。一番印象的だった箇所は、ベレー帽をかぶった東洋系の物乞いと会う場面です。

日本語表現という観点からは、たしかに、須賀敦子の、あの、登場人物の息づかいすら感じられる繊細な日本語に比べれば、文章はシンプルです。だけど、街ですれ違う人々に対する自分の情感の推移を、小気味いい日本語で、時には軽妙に、時には重厚に表現しているがゆえに、作者と対象との距離感や、人生の孤独を、実にテンポよく味わうことができました。

でもやはり、フランス滞在経験があれば、なおおもしろい作品だろうけど。

本を読むことは友達づきあいと似てるなあとおもいます。きちんとつきあってあげれば多少難解でもいい味を感じられるもの、容易な文章でみごとに表現してあり、もっともっと読みたいとおもうもの、まったくその逆で、読みやすいなぁとおもって読んでいたら、内容が安易なので途中でつまらなくなったもの、難解な文で意味不明でなのであとがきだけ読んで、さよならするもの、などなど。自分が最後までおつきあいする本で共通しているのは、文章表現もたしかに重要ですが、もっとも重要なことは、そのひとのまなざしの奥深さを感じられるかどうかでしょうね。

この本を読んだ後、なぜ、孤独を基調として、そこに生きる人々の人生を豊かに描く文学作品が東南アジアを舞台に成立しないのか、無性に誰かと議論してみたくなりました。ただ、自分がそういう作品を知らないだけかもしれないので、だれか、そういう本があったら紹介してください。