村の境界づくりに携わっているせいか、最近、妙に国境に凝っている。
トンチャイ ウィニッチャクンの「地図がつくったタイ―国民国家誕生の歴史―」を読んだり、 テオ・アンゲロプロスの映画「こうのとりたちずさんで」を観たり。
じつは、紹介したテオ・アンゲロプロスの映画は、自分が21歳のときに、ひとりでテアトル梅田に観に行った映画。そして、映画館から出てくるときに「まいったなーこりゃ」って思わずつぶやいてしまったほど理解できない映画だった。もうそろそろ共感できる歳になったかな、とおもって、先日、DVDで再度チャレンジしてみた。しかし、またしても、どうも重要な部分が理解できてないような気がする。これは、ひょっとしたら、一生かかっても、理解できない世界かもしれない。
でも、国境はいつも自分をひきつける。あなたとわたしの間に隔てられる線。国境とは自分の外に引く線なのか、内に引く線なのか、内側と外側に隔てられる人生とはなにか、そして、国家とはなにか。
そう、国境はとても悲しい音色がするのだ。