ラオスを語る言葉を聞くと、「貧しさ」と「豊かさ」が偏在していることに戸惑いを覚える。
多くの援助機関は、こぞって「貧しさ」を強調する。ついでにラオス政府もこの言説に乗っている。
この貧しさを、「飢え」という観点から見ると、我々の活動地をみる限り、飢えが深刻な問題を引き起こしているようには見えない。(若干思い切ったことを言えば、東南アジア地域の農村部で、戦乱が起こった地域を除いて、そういった飢えの問題があるところって、存在するのだろうか?)
つまり、「飢えているかいないか」という観点から見れば、「豊か」なのである。加えて、年長者を大切にする精神、客人に対するホスピタリティ、豊かな自然資源と自然とのつながりの深い生活、などから、ラオスは先進国が失った「豊か」さを再確認させてくれる場だという言説もある。
では本当に「豊か」なのだろうか。0〜5歳までの乳幼児死亡率が高い、タイへ不法労働者となって出稼ぎにいく若者がいる、ドラッグの使用者が増えてきている・・・・・・。
少なくとも、ラオスの農村は、けっして地上の楽園ではない。
同じ映像を見ていても、その時の解説やBGM次第でまったく違った印象をうけるという。ラオスについて語られる言葉には、自分たちの置かれている立場を正当化したり、援助を引き出すための語りであることも多く、その政治性に細心の注意を払う必要がある。ラオスについての語りを聞くときは、その危うさに気をつけてほしい。
そして、自分もラオスについて語る一員として、偏向を排して徹底的に眺め、自分の眼から見た確からしさを大切にしたい。