元協力隊の磯部さんも同行して、タット村へ。JVCラオスとしては禁断の果実となっていた浅井戸支援の様子を見てきた。
もともとタット村の人たちは2000年ぐらいから自分たちの手掘りで浅井戸を掘っていた。ところが雨季になるごとに井戸の周りの土が崩れ、毎年乾季に掘り直すという状況が続いていた。セメントリングさえあれば、土が崩れるのを改善できるのに、その資材が買えない。そんな村人の生活改善の努力を助け、さらにそこから農業支援の道も拡大する可能性があることから、JVCとして支援を決定した。ただし、JVCからの支援は、セメントリング型枠の貸し出しと、セメント、鉄筋のみ。労働力はもちろん、村で調達できる砂利や砂は村人みんなで集めてくることになっている。
もちろん、モノの支援はいつもうまくいくとは限らず、がらくたを生み出す可能性も高い。事実、近くの村では、某援助団体が支援したセメントリングが、そのまま放置されているようだ。援助団体におねだりさえすれば、なんでもくれるという勘違いも生まれる可能性もある。ただ、タット村の様子を見る限りでは、モノの支援は、決してネガティブさだけで語られるものではない、とおもう。
タット村の現場に行ってみると、セメントリングがすでにできあがりつつあった。昼間はだらだらとおっちゃん達と話したり、すでに掘ってあった穴を眺めてたりしていたのだが、夕暮れ時の涼しい時間になって、村人がわらわらと姿を現しはじめた。おばちゃんたちが手と口を動かしながら砂利を集め、若いのがセメントをこねて、セメントリングをつくる。おっさんたちが穴から土を引き上げ、子供達が不思議そうな興味津々の面持ちでその様子を眺めている。モノ作りがもつ、無から有を生み、前に少しずつ進んでいくそのひたむきさとけなげさが胸に伝わってくる。
いまのところ、順調に進んでいるといってもいいだろう。
でもこれだけはいっておく。この仕事に携わる者は、モノを作るプロセスにはこだわるべきだけど、モノを作るそのプロセスに感動してはいけない。究極的には、そのモノ支援に意味があるかないか、そこでシビアに判断する冷静さを持たなければ、ただの陳腐なプロジェクトXになる。