サワナケート県新規事業
1993年から実施していた中部、カムアン県の活動も2008年9月に幕を閉じた。長年による森林保全を中心とした持続的農業や農村開発の活動であったが、4月に評価を行い、一定の成果ありということで15年をもって終了することになった。この間、特に2000年以降は急激な経済開発の進出などもあり、森を守るとは、村人の暮らしの向上とは、と時代の変化をまともに受けながら、村人とともに将来の暮らしを模索する日々だった。
カムアン県の活動が終了した後、サワナケート県にて新たな活動を始めるべく、準備を行っていた。事務所はカムアン同様、県の農林局の古い施設を借りて改修を行い、事務所前にこれまでカムアンで行ってきた活動のポスターを張り出した。
新しい事務所前に張り出した活動ポスターと平野&グレンラオス行政とついに契約。
ラオスでは、現地における活動を行う際には必ず行政と契約を行う必要がある。このため、カムアン事業終了前からサワナケート県の県行政や郡行政と活動内容について協議を行い、申請を進めていたが、ついに12月末に中央省庁からの事業許可が下り、1月16日に東京から事務局長も参加し、各省庁、県や郡の関係者を招聘して事業許可の調印式を実施することができた。1年以上も契約を待たされることもある中で、異例のスピードで契約を行うことができたと言える。1989年以来のJVCのラオスにおける活動が評価されてのことと考えたい。
活動に当たってのラオス政府との調印式新しい活動とは 〜厳しい米の確保の現実〜
サワナケート県では、カムアン県同様、【1】村人が森を守り、かつ持続的に使っていくことの支援、【2】持続的農業や井戸の建設などを通じた生活改善の支援、の2本の柱を中心とした活動を行っていく。1月初めにこれまで調査のための訪問していた村を訪問し、改めて活動を今後行っていくための挨拶をすることを兼ねて、現地の視察にでかけた。
対象郡は郡。平野部で比較的多くの水田があるアサポン郡とベトナム国境寄りの山岳地帯で少数民族が多いピン郡が活動の対象となる。これまで活動をしてきたカムアン県と比べると、平野部が多く、日本で言えば新潟の穀倉地帯を想起させる。ただし、水田は多いものの収量はかなり低い。アサポン郡の村人と話していても、人口増加のため水田の拡大を図っているが、収量が低く、改良種や化学肥料を投入せねばならないためお金がかかる、とのことだった。化学肥料も2008年の5,6月には食料高騰やガソリン代の高騰で値段が上がったため、なかなか十分な量をいれることが出来ず、収量はいつまでたっても低いままであるという。
田んぼの土は触ると白砂状で、土質の悪さをどうやって克服していくのかが大きな鍵となる。
田んぼの土は白砂のよう。このため、収量が低い新しい活動とは 〜森を守る一方で、経済進出の現実〜
一方、ピン郡の村はどうかというと、訪問した日はちょうど村の中でも働き者のP氏が自然の森から苗を採り、ヤンボン(南洋桜)の植林を行っているところだった。ヤンボンは外皮が線香の原料となることから、ベトナムの商人が買い付けに来ている。ヤンボンが売れるということで、自ら工夫してヤンボン園を始めたP氏。実は、これ以外にも川を堰きとめて養魚を行うなどアイデアと工夫に富み、他の村人も「彼は努力家だから」とその存在に一目置いている。このような心強い事例に出会う一方で、この日の村の訪問では、2007年の調査の際には「計画」段階であったベトナム系企業によるゴム植林がいよいよ実行に移され、貴重な資源があった村人の森が取られ、伐採、整地されてしまったというニュースも合わせて聞くことになった。その森を使っていた周辺5村の村人が集められたが、「森の所有権は村人にはない」ということで補償は行政から1ヘクタール辺り50,000Kip(ほぼ600円に相当)と言われただけで、実際にこれも補償されるかどうか不明ということである。村の人口は増すばかりだが、将来の農業用地としても保存しておいた土地はすでになくなり、今後は若い世代は村の外に働きに行くしかないという。経済開発の波は奥地の村にも押し寄せていることを改めて実感した。
自然の森から苗を採取して、自分で植栽
7年も経つと、緑濃き森となる。外皮の採取は7年目から可能