今回ご紹介するのは、医療資材調達を担当しているサイード・サファルガーさんです。4人のお子さんを持つお父さんで、2007年からJVCで働いています。ソ連のアフガニスタン侵攻によって、生後40日あまりでパキスタンで難民となったサファラガーさん。小学校4年のアフガニスタン帰国まで、またアフガニスタンに戻ってからの人生をインタビューしました。
生後40日から小学校4年生までの難民生活
ソ連とムジャヒディーン(聖戦に携るイスラム・ゲリラ戦士部隊の意。 当時のアフガニスタンではソ連占領に反対する反ソ連戦士部隊)の戦闘によって日々の状況が悪化する中、両親はパキスタンに逃げることを決めました。自分は生後40日で難民となったので、最初の難民キャンプ地は覚えていません。キャンプ地での経済状態は大変厳しかったようです。でも家族は希望を失わず、そのような状況の中、私をパキスタン・ペシャワールの小学校に入れてくれました。4年生までこの小学校で学びました。
アフガニスタンに戻られてどのように感じましたか。
初めて祖国アフガニスタンを見たのは、小学校4年生の帰国の時です。今まで会ったことのない親族との出会いは、喜びに満ちあふれたものでした。アフガニスタンへの帰国がまさに新しい人生の始まりでした。 両親は私をダライ・ヌール高校に入学させてくれました。12年生の卒業までここで学びました。
学校教育はいつまで受けられましたか。
高校を卒業してから、大学の農学部に進学し、2006年に卒業しました。
今までの人生で最も幸せだったのはいつですか。
妻との結婚式と研究論文発表の時です。偶然にも、この2つの出来事は同じ日にありました。
どのような仕事をしてきましたか。
最初はコギナ州にあるパミール・アフガン建設会社に就職しました。9ヶ月間、この建設会社で働き、2007年にJVCに転職しました。
サファルガさんの趣味は何ですか。
友人とトランプ遊びをすることです。
ご家族は何人ですか?
妻と4人の子ども、娘2人、息子2人がいますが、まだ子どもは増えそうです。
JVCではどのような仕事をしていますか。
最初は医療アシスタントでしたが、今では物流担当、また医薬品、資材の調達責任者として働いています。
どのような時に仕事に対する満足を感じますか。
JVCで正社員として働けることに満足しています。
仕事の難しいところはどのような所ですか。
なんせプロジェクトに関わる物資全てを調達するので、その質と量をきちんと確認するのはとても大変です!この薬の量を見てください!
将来の夢は何でしょう。
村の人たちのロールモデルにぜひなりたいです。
日本の人々へのメッセージをお願いします。
厳しい状況のアフガニスタンに援助を差し伸べてくれているJVC、外務省、日本政府に感謝しています。