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第10回 警備員 アブドゥル・ラジークさん

2015年度アフガニスタン事業インターン 竹村 謙一
2016年2月25日 更新
ワイルドさが魅力のアブドゥル・ラジークさんワイルドさが魅力のアブドゥル・ラジークさん

私の半生

私はJVCの事業地があるナンガルハル県の隣のラグマーン県で生まれました。私が育った村はとても平和で、それはのどかなものでした。しかし私が3年生の時にソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、戦争と暴力の時代が始まります。多くの人はパキスタンやイランへ避難しましたが、私は村にとどまり、10年生まで学校に通いました。しかし最終学年(12年生)まで学校に通うことはできず、カーブルの軍事学校に入りました。そこで半年間、軍事訓練と教育を受け、ジャララバード近郊の大隊に配属になりました。4年間の配属中には幾度もカーブルで軍事訓練がありました。

私はまじめに仕事をこなしていましたが、ソビエト軍の多くの暴力行為を見て、軍をやめて聖戦(ジハード)に加わることを決意します。やがてソビエト軍は撤退、その後私はパキスタンのカラチに移住してとある会社の警備員をしながら家族※注(1)を養いました。パキスタンでの生活は、アフガニスタンでカルザイ大統領が就任するまで続きました。カルザイ政権は私にたいへん期待を持たせるものでしたので、アフガニスタンに帰国しました。しかし私は定職を得ることができず、家族に食べさせていくだけで精一杯でした。子どもの教育や家族の夢をかなえてあげることなどはできませんでした。

※注(1)ラジークさんには現在10人の子どもがいるそうです。

ある夏の暑い日、私はジャララバードの建設現場で働いていました。私が将来を案じていたところ、その土地の持ち主がやってきて話を聞いてくれました。それがサビルラさん※注(2)でした。サビルラさんは私をJVCに紹介してくれました。面接の結果、月に8日、JVC診療所の庭師として働けることになりました。そして2年後には警備員となりました。

※注(2)サビルラさんはJVCジャララバード事務所総務主任。

子どもの頃の思い出

イードのお祭りの時でした。私はなぜかとてもムシャクシャしていて、隣の家から卵を盗んでしまいました。お祭りに行って家に戻ると、隣の家では、卵を盗んだと言って別の隣人が責められていました。それを見てすごく居心地が悪い思いをしたのが今でも忘れられません。

普段の暮らし

詩を詠むこと、※注(3)子どもの宿題の手伝いをすることが好きです。好きな食べ物はパロウ(アフガン風ピラフ)です。

※注(3)ラジークさんが歌うように詠んでくれる詩は美しく、スタッフの間でも有名です。

JVCでの仕事

戸締まりをして...、鏡を使って、車の下も念入りにチェックします。爆弾が仕掛けられていないか毎回確認するんです!戸締まりをして...、鏡を使って、車の下も念入りにチェックします。爆弾が仕掛けられていないか毎回確認するんです!

警備員として毎日働いています。職員から感謝されると仕事にやりがいを感じます。
治安警報が出された夜に勤務をしていると緊張しますね。

日本のみなさんへ

いつもアフガニスタンの国と人々を支援していただき、たいへん感謝しています。これからもアフガニスタンの支援者、協力者、そして良き隣人でいてください。