(今回紹介するのは、現地でも最も勤務歴が長いスタッフの一人、門番のデラワールさんです。)
私は43才、ナンガルハル県ホギャニ地区※注(1)で生まれました。ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したのは私が6才の時でした。私たち家族は近くのスピンガル山地に逃げました。家もテントもなかったので、私たちは大きな木の下で6ヶ月間暮らしました。やがて戦闘が激しくなってきたため、私たちはパキスタンに逃げることに決め、三日間歩いてようやくサダ地区にたどり着きました。後にはペシャワールのホギャニ難民キャンプに移りました。10日間くらいは屋外で過ごしましたが、その後はテントと食料の支援を受けました。その後10年間ほど難民学校に通いました。
やがてアフガニスタンからソ連が撤退したので、私たちは国に戻り、ナンガルハル高校に通うようになりました。高校卒業後は経済事情が苦しかったためにそれ以上の教育に進めず、また家庭の事情から、再びパキスタンに移住し、16年間、様々な町で店員や警備員などいろいろな仕事をしました。
2004年にJVC事務所で門番になってから11年になります。従姉妹と結婚し、二人の息子と三人の娘がいます。バレーボールとクリケットが好きです。料理を作るのも大好きです。
子どもの頃の忘れられない思い出があります。事務所のサビルラさんは子どもの頃からの友達なのですが、ある時、彼が自転車を買ってもらいました。私も自転車がほしくなって、働いていた兄にねだりました。二ヶ月近くしぶとくお願いして、ようやく自転車を買ってもらいました。うれしくて、夜遅くまで自転車のそばで眠れなかったことが今でも忘れられません。
JVCの事務所で私は門番チーフをしています。他の警備担当や運転手、料理担当の監督をし、朝のミーティングでセキュリティチェックを行います。警備記録や自家発電機の燃料補給記録などを確認します。発電機の整備や修理もやります。仕事がうまくいって感謝された時が一番うれしいですが、いいことをしても誰も感謝してくれないと悲しくなります。
日本のみなさん、いつもアフガニスタンの人たちを支援してくれてありがとうございます。心よりお礼申し上げます。これからもよろしくお願いします。
※注(1) ホギャニ(Khogani)地区はナンガルハル県(県都はジャララバード)の南西にあたります。南には標高4761mに達するスピンガル(Spinghar)山地がひろがり、山麓はアフガニスタンでも有数の果物の産地です。